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No.3 感情と思慮 (2020年-令和2年11月30日)

快刀乱麻

一日一日が静かに、ある意味で非情に人を訪れる。最近特に感ずるのは大相撲においてである。
郷土力士の成績に一喜一憂する。ところが気づくともう千秋楽である。「知らぬ間に」15日が経ってしまっている。残りの人生がその分減ったことを残念に思い、その間にさしたることも成していないことに呆然とする。焦りを覚える。
このような思いは何というのか。一つの感情であろう。放置しておくと繰り返し人を襲う。次第に暗い心地ともなりかねない。

しかし、人には思慮がある。もっと違う観点で考えれば良いのではないかと諭してくれる。
人の一生は白馬が走り過ぎるのを隙間から見るように一瞬のことという。時が過ぎることのみに思いを致すのは、そもそも人と生まれた時から定められた宿命をいたずらに嘆くに等しく、もったいないことである。その短い間に何を成すかが大切である。あの15日間に重要行事を一つこなし、ライフワークの物書きもその分前進したではないか。
ここまで考えるとなにやら気分が軽くなり、前向きになる。

これは日々の感覚の中のほんの一部であり、無数に感情がいわば生まれたままのような姿で己を襲い、一方では、知識と経験に裏打ちされた思慮が生々しい感情を様々に切り分け、料理しようとする。
問題は、この料理が常にうまくいくとは限らない。時に制御不能となり、怒り心頭に達したり、塞ぎ込んでしまったりとなる。
これは人生における苦しみということにもなろう。古来人々はこれに立ち向かい、般若心経などは「私達の心と体」は「空」であり、これを悟った時あらゆる苦しみから開放されると説いているようである。

視点を変えて見れば、何歳になってもこのような感情が泉のごとく湧き出すというのは、若々しい命の原泉が枯れていない証左であり、頼もしく、喜ばしいと言える。
また、これを日本刀を鍛え上げる如く、強く鋭く磨いたメスで裁き芸術的に切り分けるのはさらに楽しい。うまくいかないことも又楽しき人生かな。
最後は人生讃歌となった。

 

No.2 最初の心構えが大事 (2020年-令和2年10月31日)

最近2年ぶりにゴルフを楽しんだ。県内のゴルフ場で18ホールのコース入りは、136回目である。
初回が1988年(昭和63年)なので32年目ということにもなる。当時は県庁の課長補佐クラスで、県の上層部や霞が関の中央官僚と話しを合わせるには、従来のマージャンに代わってゴルフという風潮であった。

一人前と言われるスコア100を切るのに約10年かかり、90台を連続で出せる時期もあったが市長職で練習を含めてゴルフの時間を取れなくなってからは、どんどんスコアも落ちて、今では120台という初心者レベルに舞い戻ってしまった。数年前からは年1~2回で貴重な人的交流の場としているのみである。

もともと運動神経は並以下であったが、最初の取組み方が悪かった。全く自己流で始めてしまった。ゴルフスクールの存在は知っていたが、たかがプラスアルファーのレジャーといった認識のため、甘く見ていた。
しかし職場の空気から必須科目のように出場したコンペ(ゴルフ大会)では、万座の前でポンコツショットをすることも多く、恥をかく辛い場ともなった。

これではいけないと4~5年経過した頃ゴルフスクールに通い出したが、指導員は生まれつきのスポーツマンらしく、何故こんな拙いスイングになっているのかが想像出来ないようであった。よって生徒のつまずき理由を見出し、それに応じた指導が出来ない、あの剣豪宮本武蔵が指導者としてはわかりにくかったのと同じであった。

人のせいにも出来ないが、ゴルフ道については出だしでつまずき、長く尾を引いてしまった。
そういえば中学時代の卓球もそうであったし、社会人になる出だしもそのような思い当たることがある。

最近改めての愛読書「徒然草」(兼好法師)の第187段「万の道の人」には、「どの道であっても専門家というものは、たとえ未熟であったとしても、熟練の素人に比べた時に、必ず勝っている。それは、いつも油断なく慎重で軽率なことをしないのと、ただただ勝手気ままにするのとは、ちがうからである」(荻野文子著、兼好法師徒然草、NHK出版)とある。納得できる部分が多い。

どんな道であっても、一旦その道に向かうからには、ましてや己の命運に関わる真剣な場面にも出会う道であるからには、当初から油断なく慎重に、学びつつ思いつつ進むべきであろう。最初の心構えが大事である。

 

No.1 随筆・エッセイことはじめ(2020年-令和2年8月31日)

枕草子絵巻

鴨 長明

吉田 兼好

古希を過ぎて(現在満72歳6ヶ月)人生を総括する季節となった。
これまでの人生は、全てに対して手を抜かず、全てに挑戦し続けるということが、概ねできた人生であった。無論、うまくいったこともあれば、逆もあった。
振り返れば、戦術(具体的実践)はあまり出来が良くなかったが、戦略(中長期構想)を立てて時間を掛けて目標に突き進む姿勢は良かった。結果としてほぼ全ての戦略目標を達成できた。
その過程では、迷うぐらいならより困難な道を選ぶ、後で後悔するぐらいならまず挑戦する、己の誇りと品位を失うくらいなら身を捨てる覚悟で中央突破を目指すといったスタイルを己の気質に合わせて実践できたことが大きかった。

これからをどうするか。考えてみたが、結局己は、「生涯現役」という世界を抜け出すことができない質であるという覚悟に落ち着いた。
では今後の戦略目標をどう立てるか。人生は、戸の隙間から白馬が走り過ぎるのを見るように、ほんの一瞬のことに過ぎないと言われる。まして人生の終盤である。レンガで何かを積み上げるように、後に形が残るようにしたいものである。
それは私の好きな、性に合うことでもあるモノ書きである。分刻みの市長の激務7年の間に、必ず月1回メールマガジンと心象スケッチを発表したのは我ながら褒めてやりたいことであった。逆に退任後にそのペースが大幅ダウンしたことは慚愧に耐えない。やはり明確な目標を持たないとこうなる。そこで、次の目標を立てた。

1.生涯に10冊の本を出版(自費出版)し、図書館等にも配付し、後世にも伝わるよう務める。既に2冊出しているので残り8冊である。ペースは2~3年に1冊であり、素材はこれまで発表しているものプラス今後の創作である。
2.月1回、メールマガジン(年4回)か随筆・エッセイ(年8回)を発表する(メール発信、ホームページに掲載など)。後に本にしていく。
3.月1回心象スケッチを発表し、上記と同様に進める。

今回の随筆・エッセイは、記念すべき第1号であるが、決意表明に留まってしまった。
最後に、随筆とエッセイは同義でもあるが、私としては、日本古来の随筆の伝統に敬意を表しつつ、エッセイの新感覚も取り入れたいとの思いである。内容においては、次を心掛けたい。今から楽しみである。

1)日本三大随筆(枕草子―清少納言、方丈記―鴨長明、徒然草―吉田兼好)を座右において執筆すること。
2)人の言葉ではなく、己の言葉で記すこと。
3)後世に残ることを目指すこと。

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