相原正明の個人オフィスのホームページです

2005年4月〜2006年3月

心象スケッチ 2005年4月〜2006年3月

2006.1.15 雪の深さを尋ねけり

写真は、市役所の4階から見た雪深い駐車場風景である。
この冬の雪は、例年になく、早くかつ深い気がする。

除雪費は、ウナギ昇りであり、どこの自治体も悲鳴を上げている。
江刺市も例年の2倍の額で、1億円の大台を突破しそうである。
一方、除雪に対する市民の関心は高く、勢い苦情も多い。
担当の職員の苦労も並大抵ではない。

次の俳句のような心境にあるかもしれない。

いくたびも雪の深さを尋ねけり   正岡子規

 

2006.1.8 第19回 江刺最後の消防出初め式

市役所駐車場には、しっかりと雪が残っていたが、空は青く、消防自動車の赤い色が眼に眩しい。

市長の数多くの” 行事出演 ”の中でも、消防演習やこの出初め式は、華やかさにおいて最右翼であろう。
何百人の消防団員の敬礼を受け、何十両もの消防車の行進を統監として観閲する。

いやが上にも気持ちが引き締まるが、とりわけ今回は、奥州市合併を目前に「江刺最後の消防出初め式」である。
一刻もおろそかにできない。

鮮やかな色彩と号令の声が、いつもより深く記憶された一日となった。

 

2006.1.1 お犬さま

今年は、戌年。犬をいつもより、大切にしたい年でもある。
写真のワンちゃんは、コーギー犬(3歳・雌)で、名は、「くるみ」という。

実は、盛岡在住の息子夫婦が飼っている犬だが、旅行の際などに我が家に預けていくのである。
まず、散歩をせがまれ、人間の都合より優先させて、30分ほど時間を取らなければならない。

室内犬であるため、適当な部屋を探さなければならないが、最後は、私の書斎に決定となる。
糞の始末はじめ、最初は、煩わしい気持ちが先に立ってしまう。
しかし、去った後の寂しさも格別である。
“ お犬さま、また来て下さい。 ”

 

2005.12.25 旧江刺市長

12月23日遠野市民センターにおいて、新遠野市誕生記念式典が開催された。
10月1日に遠野市と宮守村が合併し、人口約3万2千人の新しい遠野市が誕生したのである。

写真は、市長会会長(谷藤盛岡市長)代理として、祝辞を述べる同副会長の江刺市長(私)である。

ところで、式典の資料を見て、おやっと思ったことがある。
それは、「旧遠野市長」という表現に出会ったためである。
「前遠野市長」ではないのである。

合併前の市町村は、もはや存在しないので、なるほどこのような表現になるのであろう。

間もなく、私も「旧江刺市長」になると思いながら、しばし感慨にふけったことであった。

 

2005.12.18 浩然の気を養う

12月17日は、江刺市営越路(こえじ)スキー場開きのセレモニーがあった。
豊富な雪の中でのオープンは、近年にないことであり、既にお客さんが多数待ちかまえている。

神事、テープカット、直来(なおらい)が一段落して、ふと思い立った。
“ リフトに乗って、ゲレンデ頂上から世界を眺めてみよう ! ”

係員のお世話になりながら、遂に山頂に立つ。
真っ青な空とリフト越しに見える冬の山々。
浮き世の雑念が嘘のように消えてゆく。

まさに浩然の気(のびのびした気持ち)を養う思いであった。

 

2005.12.11 諺に出てこない「孫」

厳粛なる執務室に孫の訪問を受けた。
まだ4ヶ月にならない女の子(長男の子)である。

男の子2人しか持ったことのない私にとって、不思議な存在であり、「可愛い」という月並み表現では物足りない。

日本の諺の中には、「子は三界(過去・現在・未来の意)の首枷(くびっかせ)」、「子ほど喜ばせにくいものはなく、親ほど喜ばせやすいものはない」など親子に関するものがいろいろある。

しかし、孫に関するものが見あたらないのは、なぜであろうか。
広辞苑に「孫は子よりもかわいい」とある程度である。
長寿時代には、なにやら物足りない。

わが孫殿は、いかに思し召すや。

 

2005.12.4 日の出の勢いにあやかりたい

水平線上の日の出

先日、千葉県銚子市で「未来の都市を創る市長の会」があり、調布市、富士宮市、銚子市の市長と地域再生をテーマにディスカッションし、終了後は、犬吠崎灯台の見えるホテルで懇親会も楽しんだ。

一段落して、自室に戻り、酔った眼でテーブルの上のメモを見ると、翌朝の日の出の時刻が書いてある。どこからどのように見えるか、闇夜で見当もつかなかったが、朝の6時台ならなんとかなると思った。

うまい具合に、6時ごろ眼がさめた。カーテンを引くと何と真下が海であった。これなら素晴らしい日の出が見れそうだ。

犬吠崎灯台

6時26分、予定通り日輪がユサユサと水平線を揺らし、姿を現し始めた。何年ぶりだろう。感動の一瞬である。
やがて、完全な球体となって、勢いよく上昇し始めた。

Every  dog has his day.(誰にでも得意な時があるものだ。)
こんな諺を思い出しながら、日の出の勢いにあやかりたいと思った。

 

2005.11.26 奥州市誕生まであと100日

11日12日は、奥州市誕生100日前に当たる。
言い換えれば、江刺市の終幕の日でもある。

複雑な心境であるが、合併記念イベントを市民参加スタイルでで行った。

写真は、岩谷堂小学校児童と一緒にタイムカプセルを埋設しようとするところである。
この中には、子ども達の作文が入っており、10年後に開かれる予定になっている。

10年後といえば、合併新市の建設計画が終了する時でもある。
後世の評価がどう出るか。
それに耐えうるよう頑張らなければ !

 

2005.11.19 再び江刺りんご

りんごの収穫作業

11月15日、農業実践体験・視察として、藤里りんご園を訪ねた。
江刺に12ほどあるりんご団地の一つである。

りんごの摘み取り作業を手伝いながら、りんご園経営の課題などをお伺いするものである。

3日前のサンふじの初競りで55万円(1箱・28玉)のご祝儀値段が飛び出したが、その28玉の中にこのりんご園からのものが多く含まれていたという。

となると、1個約2万円のりんごの収穫作業ということになり、手が震えてくる。りんごの軸芯を欠いたりしないようになど、緊張の連続であった。

作業終了後の記念撮影

短時間の作業が終了し、ホットした表情が下の写真に見える。
この後、事務所で話を聞きながら、自ら摘んだりんごをご馳走になったが、言うまでもなく格別の味であった。

 

2005.11.12 1個2万円のリンゴ ! !

55万円で落札された
特選の1箱(28玉)

今年も本格的な江刺りんごの季節がやってきた。
12日、盛岡市中央卸売市場で主力品種サンふじの初競りが行われた。

開始に先立ち、地元の市長として挨拶した。「今年は、台風被害もヒョウ被害もなく、順調に生育し、色合いも味も例年に増して素晴らしい出来映えです。是非高値でお買い上げいただき、産地を元気づけていただきたいと思います。」

緊張感高まる中、いよいよ競りが始まり、競り人の声がリズムよく場内に響き渡る。
サンふじ535箱のうち、ランクの低いものから、競りが行われ、最後は、いよいよ写真上の特選1箱(28個入り、10キロ)の番となった。

この最後の分だけは、ご祝儀相場といわれ、他の競り価格(1箱 1ー2 万円以内程度)より遙かに高い値となる。
一昨年20万円、昨年45万円である。
昨年高過ぎたとの声もあり、固唾をのんで見守る。

初競り風景

30万円の声に始まり、なんと55万円で競り落とされた。
1個約2万円である。
生産地や市場関係者の歓声とため息がたちまち満ちた。
全国ニュースとして報道され、江刺リンゴの名声は、いよいよ高まったようである。

くだんの55万円リンゴは、その日のうちに盛岡市内の著名デパートに展示された。
江刺リンゴを是非ご賞味ください。

 

2005.11.5 トロッケンベーレンアウスレーゼ

白ブドウ

写真は、我が家の敷地内にある畑のブドウである。
私の父(84歳)が、丹精込めて栽培したものである。

この屋敷内では、私の子供の頃すでにブドウの栽培が行われており、今は亡き祖父母が収穫し、リヤカーに積んで、町場に売りに行く姿が眼に浮かぶ。

季節もこの頃になると、枝のブドウも残り少なくなるが、甘みは、格別なものとなる。とくに、朝露の中でつまむ味は、一度食べたら忘れられない。

子供の頃も、大人の今も密かな楽しみの一つである。

黒ブドウ

ところで、表題のことである。トロッケンベーレンアウスレーゼとは、ドイツワインの一つで、「超過完熟し、乾しぶどうに近いまでにひからびた顆粒を一粒ずつより集めて造られるワイン」であり、甘美な蜂蜜のような味香を誇る最も優れた品質のワインと言われる。

ドイツのオッペンハイム市(ラインラント・プファルツ州)のワイン生産現場でこれを飲んだとき、飛び上がるような美味しさに驚くと同時に、我が家の上述のブドウの味を思い出したことであった。

 

2005.10.29 プロ棋士に勝ってしまった ! ?

祷(いのり)五段との対戦

10月29日(土)、えさし藤原の郷で、囲碁ファンの集いがあった。
日本棋院から3人のプロ棋士が、来訪し、子供達への指導碁や対談などを行うのである。

3人のプロ棋士とは、大森泰志八段、祷(いのり)陽子五段、梅沢由香里五段である。
プロ棋士と私は、まず、平安時代衣装に着替えて、テレビ岩手の小林ゆり子アナの司会の下、30分ほどの対談を楽しく行った。

次に、いよいよ、祷(いのり)陽子五段と私(アマチュア五段)の対戦である。手合いは、四子局(最初から石を4つ置く)と決まった。
ここ数年実戦から遠ざかっており、まともに打てるか不安であるが、度胸で打つしかあるまい。

今回は、様々意匠を凝らしたが、碁盤と碁石は、藤原の郷の施設に飾ってあるもので、正倉院(奈良の東大寺にある宝物殿)収蔵のものを模した逸品を使用し、平安時代に習って、「上手(うわて)が黒石、下手(したて)が白石」とした(現代と逆)。

対戦中の大盤による解説は、大森プロ、梅沢プロが行うという超豪華スタイルである。特に、梅沢プロは、NHKのテレビ碁で一世を風靡した、いわばタレントである。

平安時代衣装のプロ棋士。
向かって左から大森、祷、梅沢(右端は私)

祷プロは、平成12年に女流本因坊位を獲得した実力者であるが、年齢は、30を少し過ぎたばかりで、小柄な笑顔のすてきなヤングウーマンである。

試合は、90分の時間の中で、激しい戦いもあり、平和的解決の部分もあり、まだまだこれからと思っていたところ、15分ほど残して、祷プロが投了(負けを認める)したのである。
10目ほどリードしていたらしい。驚いたやら、嬉しいやら。
一方では、”暖かいご配慮”とも受け止めた。
それにしても、生涯の宝を一つ加えた日となった。

 

2005.10.23 アン・マカミッシュ市長の美しい庭

アン・マカミッシュ市長夫妻と私夫婦(市長宅の庭にて)

10月16日から20日まで、オーストラリアのグレーターシェパトン市を公式訪問(総員5名)したが、宿泊は、同市長宅へのホームステイとなった。

マカミッシュ市長の趣味は、ガーデニングということで、何年もかけて作り上げた美しい庭を早速案内していただいた。

アイリスや藤の花などなじみの花や、全く初めて見る春の花々(オーストラリアの季節は、日本と半年違いの春)を説明を聞きながら堪能した。
上の写真の背景の紫の花は、オーストラリアハイビスカスである。

面白い名前の花もあり、思わずカメラに収めた。写真下のキスミークイックである。果たして、花がキスを求めているのか、見る人がそれを欲しているのか。名前の意味は、前者であるがー。

同上庭の花 : キスミークイック

次の朝、マカミッシュ市長の運転する車に同乗し、その庭を通り過ぎる時、同市長は、スピードを落として、アイリスの花をゆっくり眺め、「あと一週間しか見れません。」と言った。
本当に花を愛している人である。

 

2005.10.15 心にしみる宗幸さんの歌と語り

菓子店の駐車場
で歌う宗幸さん

「えさし蔵まち市」(江刺商工会議所主催)は、10月8日、9日の両日、蔵まちモールを会場に開かれたが、初日、イベント広場(菓子店駐車場)では、仙台のシンガー・ソングライターさとう宗幸さんのミニコンサートが行われた。

私も妻と椅子に座って、しばし聞き惚れた。
大好きな青葉城恋歌から始まって、数曲聞かせて頂いた。

曲と曲との間の語りも心にしみた。
「野外コンサートを数多くこなしたが、すぐ側を車が通る場所は、初めてです。」と言って笑わせたり、さりげなく「寒くなってきましたので、風を引かないようお願いします。」などの気遣いを見せた。

宗幸さんを囲んで記念写真

全国レベルの歌手でありながら、仙台を愛し、離れようとしない。そんなところにも惹かれている。
これからは、”東北の時代”。
宗幸さんのように、また、歴史上の人物としては、アテルイや清衡や政宗のように、東北の地にあって、全国に光を発したいものである。

 

2005.10.8 シセンは、斜め前方にあり

市長室でTV訓辞

10月3日(月)午前11時、今年度初の庁内テレビ中継による市長訓辞を行った。
市長就任(平成15年3月)以来、通算4回目で、このうち3回は、年度中間の10月に行っている。

年度の初め(4月)は、本庁舎の多目的ホールに職員を集めて訓辞を行うので、この10月には、それぞれの職場にいる職員に庁内テレビで語りかけようとするものである。
出先にある地区センターなどには、光ケーブルを通じて映像が送られる。

市長室にテレビカメラがセットされ、それに顔を向けて話す。原稿はあるものの、できるだけ下を向かないようにする。
4回目でもあり、スムーズに終了。

ところがである。午後5時の再放送を見て、コレハマズイと思った。
語りかける私の視線が、視聴者の方ではなく、どこか違う斜め前方ばかり見ているのだ。

原因は、すぐに分かった。テレビカメラを見ずに、そのすぐ脇に置かれたモニター画面(自分が写っている)を見ていたのである。

市長室のテレビ に映っている様子

学校の授業などでも、自分の方に視線の向かない先生や講師の話は、親しみが湧かない、よって、理解しにくいという。
覆水盆に返らず。
杯に月を浮かべながら、静かに反省しよう !

 

2005.10.2 稲田と一体となる

稲刈り(手刈り)

9月27日、農業実践視察として、市内梁川地区上芦沢の農家を訪ねた。
4年ほど前に新規就農し、有機栽培に取り組んでいるMTさん(30代後半)の田んぼで、稲刈りをし、その後意見交換(青空トーク)しようとするものである。

MTさんの隣家の老翁KSさんの技術指導を受けながら、手刈り(機械刈りではなく)、稲まるき、はせ掛けの順で行った。
四十数年前の小学生時代に、家の田んぼで手伝った稲刈り作業を思い出した。

稲まるき

手で稲をつかむと、稲の鼓動が聞こえるようであり、鎌でサクッと切る時は、何か稲と対話しているようであった。
足場は、自ら稲を切ってこしらえた切り株である。

一瞬、大自然・稲田と解け合った自分を感じ、いい知れない安らぎと満足感を抱いた。
笑顔で、見守ってくれたMTさん、KSさんに感謝しつつ、鎌を置いた。

 

2005.9.25 ユーモラスなMr.サンプラザ中野

9月11日、秋晴れの中、岩手江刺国際交流マラソン大会が行われた。
外国人(アメリカ、イギリスほか)ランナーを含め、全国(北は北海道から南は香川県まで)から約1,300人が参加した。

写真は、市役所前からのスタート風景である。
21.0975キロのハーフ、10キロ、2.1キロの順でスタートしていった。

今年のゲストランナーは、ヒット曲「RUNNER(ランナー)」で有名なサンプラザ中野さん(写真下)である。
前日の晩の開会式・歓迎レセプションで初めてお会いしたが、頭の回転が速く、気さくで親しみやすい印象であった。

丸テーブルでは、サンプラザ中野さんと隣り合わせたが、次々とご馳走が並べられる中、楽しく懇談させて頂いた。
江刺の美味しい食品もすぐ記憶した様子であった。

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さて、しばらく私が、中座し、戻って卵麺(日航の機内食にも採用されたことのある江刺の特産品)を食べようとした時のことである。 ”アレ、自分の分がない !?”
するとMr.サンプラザ中野が、ばつ悪そうに、「あまり美味しいので市長の分食べちゃいました。」と言ったものである。

同氏は、翌日の挨拶(写真)の中で、このことに触れ、笑いを誘っていた。
サンキュー、Mrサンプラザ中野 !

 

2005.9.18 逆転の発想

タイトルほどの劇的な内容ではない。しかし、面白く、様々な連想を催させる出来事があった。

写真は、9月15日に江刺市中央運動公園陸上競技場で行われた江刺市長杯ゲートボール大会の競技風景である。

ゲートボールは、老若男女に親しまれ、競技人口の比較的多いスポーツである。写真には、私の同級生(57歳)も映っているが、彼は、ゴルフとゲートボールを趣味としている。

それはともかく、この日の開会行事でのことである。
挨拶、選手宣誓などが終わり、始球式となった。市長(私)、市議会議長、県議会議員といった来賓が、衆目監視の中、スティックでボールを打つ。ゲートをくぐって通過すれば拍手となる。

写真は、ゲートとボールとスティックである。
但し、始球式で用いるゲートは、幅が特別に広く、紅白のテープを巻いている。

“事件”は、何人目かの来賓の打ったボールが、ゲートをくぐらずに逸(そ)れようとした時に起こった。
何と、ゲートの方が動いて、ボールをくぐらせたのである。
何のことはない。ゲートを手で支えていた大会役員が、”サービス”したのである。

「逆転の発想」という言葉が、脳裏をよぎった。世の中は、こういう弾力性、意外性がないと面白味がない。
こういう発想を仕事や人生に活かしたいと思った。
皆さんは、いかがですか。

 

2005.9.10 雲の詩歌

飛行機の窓から見下ろす雲

先日、名古屋からの帰途、久しぶりに飛行機の窓から美しい雲を眺め、写真(上)に収めた。
雪原のようにも見える雲を飽くこともなく眺めるうち、心が次第に安まるのを感じた。

帰庁後、雨上がりの空に浮かんだ雲を連想ゲーム感覚で更に写真(下)に収めてみた。

市役所の窓から見上げる雲

古来、人々は、雲に思いを託し、歌に詠んだ。
中国唐代の詩人杜甫の詩「江亭」の一節
雲はとどまりて意は倶(とも)に遅(のど)かなり

(ふと見上げれば、空に浮かぶ軽い雲。風はない春の日、雲はじっとそこに存在し、とどまって動かない。私の心も、雲と同じように、静かである。)

万葉歌人 柿本人麻呂の歌(旋頭歌 五七七・五七七)
はしだての倉椅山(くらはしやま)に立てる白雲
見まく欲(ほ)りわがするなへに 立てる白雲

(けわしくそびえ立つあの倉椅山の上に立っている白雲よ。私が見たいものだと思っているときに、ちょうど立ち上っている白雲よ。)

最後に私の拙(つたな)い一句
雲の下に雲が浮かんで春田かな   江山

 

2005.9.3 囲碁と私

写真の碁盤と碁石は、平成元年に私が、日本棋院から五段の免許状を頂いたときに、記念に買い求めたものである。
ちなみに、材質は、榧(かや)。

当時、41歳であったので、「不惑」(論語の四十にして惑わずからきた言葉)と名付け、下の写真のとおり、碁盤の裏側に墨書している。

囲碁は、大学1年の時、下宿先の先輩学生に教わり、始めたものであるが、性分に合っていたとみえ、以来約40年間大切な趣味として付き合ってきた。

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学生時代は、友人と折りたたみの碁盤を持って、旅行したこともあり、また、一人碁(棋譜並べほか)に時間を取られ過ぎることから、押し入れの奥深く碁盤をしまい込んで、自ら碁をできにくくしたという笑い話のようなこともあった。

県庁に入る頃は、1級ぐらいであったが、碁好きの上司、先輩にかわいがられ、「芸は身を助ける」を地でいった思いであった。

囲碁の世界には、格言や名言が豊富にある。
私が覚え始めの頃、碁界の頂点にあった、坂田栄男氏の「良い手を打って勝つのではなく、悪い手を打たずに勝つ」という言葉は、人生や仕事にも通ずるものであると、長年思っている。

それにしても、最近碁を打つ暇がないのが残念である。

 

2005.8.27 愛馬と楽しんだ衣川むら祭り

狩衣姿の5首長

8月21日衣川むら祭りにお呼ばれした。

奥州市合併が決まって以来、互いに主な祭りに招待し合うことにしている。5月には江刺甚句まつりに来て頂いている。

まず、騎馬武者行列に5市町村(水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村)の首長が参列するということで、衣川小学校の体育館で、狩衣の着付けをして頂いた。

えさし藤原の郷では、市長兼社長として、しばしば平安貴族の衣装をまとっているが、武家装束は初めてであり、用意の刀を腰に差すといやがおうでも身が引き締まる。

上の写真は、5人の首長(胆沢町は助役)が勢揃いして、出陣の杯(土器・かわらけ)を飲み干す場面である。この後、かわらけを割って、いざ出陣となる。

騎馬武者行列

ところで下の写真の馬上の姿は、どう見えるだろうか。実は、私は、乗馬経験ゼロなのである。鐙(あぶみ)に足をがっちりと掛け、背筋を伸ばして、鞍付近に結わえた布を握るぐらいが精一杯で、手綱裁きにはほど遠い状態であった。

しかし、白馬と引き手がうまく合わせてくれた。馬は、雄14歳。人間でいえば、50代の半ばということで、ほぼ私と同年代であった。他の馬(農耕馬)と違い、乗用馬で、しかも白馬。格好がよい。小一時間ぐらい乗る内にすっかり愛着を感じてしまった。
そこでタイトルは、「愛馬」とした。

あわせて、衣川の人々と文化・風土に大いに親近感を抱かせて頂いた。

 

2005.8.20 空蝉(うつせみ)は何想う

今年の夏休みは、長男の妻の実家のある阿蘇(熊本県)に出向き、空き時間に息子と薄暮ゴルフ(日暮れで終了)を楽しんだ。
下の写真がそのスタート時のものである。

長男と私(ゴルフ場にて)

途中の休憩時に、木の葉にしがみついた空蝉(うつせみ。蝉の殻)を見つけ、丁寧に手折った(写真上)。

蝉の幼虫は、土の中で数年から十数年過ごし、やがて蛹(さなぎ)となり、木の幹などに上がり、背中から割れて皮を脱ぎ、羽化して遂に蝉となるのである。
そのぬけ殻を「空蝉」という。何とも優雅な名ではないか。

源氏物語にも「空蝉」という卷の名がある。
空しいこと、ぼんやりした有様のたとえに使われる。
俳句にも多く詠まれている。
空蝉を妹が手にせり欲しと思ふ   山口 誓子

空蝉

ところで、長い年月をかけて羽化し、いよいよ天空に羽ばたいた蝉であるが、その命の長さをご存じだろうか。
わずか数日か一週間である。
おそらく「悔いのない人生(蝉生)」を過ごそうと全力で鳴き、飛んでいるのではなかろうか。

一度、その想いを空蝉と蝉の双方から、聞いてみたい。

 

2005.8.15 凌霄花(のうぜんかずら)の思い出

写真(2枚)は、我が家の裏庭(北側)にある凌霄花の古木である。あまりの大らかな美しさに思わずシャッターを切った。
緑の葉にダイダイ色の花々が鮮やかである。

中国原産で、「その花を嗅げば脳を損ない、雫が目に入ると目がつぶれるという有毒植物であるが、花がいかにも美しいので観賞用として庭園に植えられる。花言葉は、名誉。」とのこと。

実は、この木は、旧母屋(約10年前に道路用地となったために解体)の前庭にあったもので、その位置を変えていない。
つまり、この木を目印に旧母屋と新母屋の位置関係を確かめることができる。

また、旧家時代、この凌霄花のすぐ側には汲み上げ式の水道ポンプと大きなコンクリート製の洗い場があった。
今は亡き祖父母が、よく鎌を研ぎ、野菜を洗っていた。
幼い頃の私も凌霄花の花リングなどを作って遊んでいた。

そうした懐かしい思い出も手伝って、自然に目がそこに留まって動かない。
そういえば、十数年前に初めて作り、一応俳句になっているとして取り上げられた(採用された)句の中に次の句があった。
のうぜんの朽ちたるもあり垣の下

 

2005.8.6 初の防災訓練

防災ヘリ
「ひめかみ」

7月24日、就任以来、初の防災訓練を行った。
震度6弱の地震発生を想定した訓練で、江刺市訓練災害対策本部(本部長は市長)を設置し、午前7時から8時40分まで、市内自治会や一般住民(約60人)の方々の参加のもとに行い、訓練はスムーズに推移した。

写真は、岩手県防災航空隊のヘリコプター「ひめかみ」による負傷者救助救出訓練である。
轟音と激しいヘリコプター風の中、空中に人が引き上げられていく様は圧巻であり、命綱は大丈夫かなどハラハラの連続で、大いに緊張感が高まった。

実は、この日の立役者がもう一人ならぬ、もう一匹いた。災害救助犬のジョン君(6歳。雄)である。
2カ所の瓦礫の山のうち、1カ所に人が隠れていたが、ジョン君は瞬時に見分け、人を発見して「ワン」と吠え、救助隊に知らせた。

災害救助犬ジョン君

写真は、後日市役所で行われた災害救助犬指定書交付式であり、ジョン君立ち会いのもと、所有者である菊池洋さん(岩谷堂)に交付したものである。

災害は、起きてほしくないが、ジョン君には、また会いたいと思った。

 

2005.7.31 川に親しむスローライフ

北上川

7月30日、「北上川水先渡船場ボートで遊ぶ会」に出席して、祝辞を述べた。
ここまでは普通であるが、ありがたいことにエンジンボートに乗せてくれるという。

郷土の母なる大河。日本第五位の長大川(249km)。北上夜曲の舞台なる川。
こんなあこがれの川であったが、舟に乗るのは初めてであった。感激 !

身近な自然と言えば、山と川。しかし、山登りの会は、沢山あるが、川下りの会の話は、ほとんど聞かない。もう少し、バランスをとって、命の源である川に親しんでも良い気がする。

長良川と鵜飼舟

それには、とにかく川の中に入って、川と触れあうことである。パリのセーヌ川や最上川、長良川でも舟に乗り、親水空間を楽しんだが、川の立場に立って、地上を見ることができたような気がする。

まさに自然の懐に抱かれて、最近話題のスローライフを堪能した気分である。

 

2005.7.23 愛しの蛙(かえる・かわず)

夜になると我が家の玄関に蛙がよじ登ってくる。その数は、1匹や2匹ではない。
最初は何をしているのか分からなかった。下はコンクリートのたたきなので、落ちれば危険なようにもみえる。それでもやりたい趣味なのか。ーマサカー

どうやら、玄関の光に集まってきた小さな虫を食べようとしているらしい。それなら多少の危険もなんのそのであろう。

先日、囲碁の月刊誌を読んでいたら、高名な小林光一九段が、「○○国の選手たちは、まるで蛙のよう、どこを見ているのか皆目見当がつかない。」と述べていた。
面白いと思う一方で、果たしてそうであろうか、当の蛙が聞いたらなんと言うだろうかと、しばし楽しく考えたことであった。

平成12年度にスウェーデンを訪問した時、招かれて立ち寄った日本大使公邸の一室は、何と世界中の蛙の置物で一杯であった(大使の趣味とのこと)。

とにかく蛙の話題には、事欠かない。東京深川の芭蕉庵を訪問した際は、かって同所にあったとされる石造りの蛙が土中から発見された場所をもって、記念館(芭蕉庵)建設の場所としたということを知った。
関連の芭蕉の句は、無論次の句である。
古池や蛙飛びこむ水のをと

 

2005.7.16 市長は身軽になろう

権限委譲前(イメージ)

写真は、書類で満杯の市長机の決裁箱である。
市長の仕事としては、対外的な行事出席・挨拶が分刻みであり、まさに絵に描いたような忙しさである。

しかし、内部事務として、職員の相談や協議に応じたり、市としての意思決定をするための書類決裁の仕事も不可欠である。

こうした書類仕事の時間を少なくし、事務の効率化を図るとともに市長をもっと身軽にしようとして、7月から決裁権限を大幅に助役や水道事業所長に下ろした。

権限委譲後(イメージ)

前者の関係では、契約関係事務の内約40%、後者の関係ではなんと約80%も委譲された。

その結果、ーイメージではあるがー下の写真のように決裁書類が減った。

ただし、「身軽になった市長は、何をしているのか。さっぱり成果が見えない。」と言われないよう踏ん張らなければならない。

 

2005.7.9 歓迎グレート・シェパトン市長ご夫妻

歓迎夕食会(7.2)

7月2日、オーストラリアの姉妹都市グレート・シェパトン市のアン・マキャミッシュ市長(女性)とその夫君が来江された。
市長同士が顔を合わせるのは、平成7年10月に当時の及川市長等23人が公式訪問して以来である。

歓迎夕食会(7.2)では、交流を一層深めたい旨の挨拶を述べ合った。
マキャミッシュ市長は、地理と歴史の高校教員出身で、同市の7人の議員の互選で市長に選ばれた(就任3年目)とのことである。

大変気さくで飾らない人柄であり、2日目と3日目の晩は、個人宅での少人数交流を楽しんでいた。
特に印象深かったのは、国際交流の基本を「個人と個人の親交」に置いているように感じたことであった。

出立日。ホテルにて(7.5)

見送りの日には、グレート・シェパトン市への早期訪問の検討を約束したことであった。
See you agein soon..

 

2005.7.3 ニホンタンポポを応援しよう

えさし藤原の郷に移植されたニホンタンポポ

今日7月3日、歴史公園えさし藤原の郷において、開園記念行事があり、ご支援頂いた方々に江刺開発振興株式会社社長名(相原正明)で、感謝状を贈呈した。
その中の一人は、玉里の門脇生男さんで、自宅の敷地内で見つけたニホンタンポポ(カントウタンポポなど)を大事に育て、その何株かを藤原の郷に寄贈されたのである。

現在普通に見られるのは、ヨーロッパから帰化してきたセイヨウタンポポであり、ニホンタンポポはそれに押されてか数が少ないという。
門脇さんは、近くのセイヨウタンポポの花を摘み取ったりしながら次第にニホンタンポポを増やしていったそうである。

「植物と人間」(昭和45年NHKブックス)という本の中に、「一見平和の代名詞のようにみえる植物社会でこそ、もっとも厳しい直接、間接の競争が行われている。」という記述がある。
自然の摂理には逆らえないであろうが、「判官びいき」ーそういえばこのタンポポは、義経武家屋敷の隣にあるーでもって何とか応援したいものである。

俳句の世界でよく知られている山口青邨(盛岡市出身。1892-1988)の次の句は、はたしてどのタンポポであったろうか。
たんぽぽや長江濁るとこしなへ

 

2005.6.25

書道は、小学生の時一生懸命取り組んだが、その後は、しばらく縁がなかった。再び書道教室の生徒となったのは、二十年ぐらい前からである。教室と言っても自宅であり、先生は母(相原北路)、生徒は、私と妻、息子2人という状況であった。

練習日は、日曜日の午前であったが、私の方は最小限をこなすのみで、妻に大きく段位の水をあけられる有様であった。むしろ、仮名書きの手本の和歌などに気を取られていたような気がする。

ところがである。市長になると定礎版を始めいろいろな書の依頼がある。もう少し上手になっていれば良かったと思う。
上の写真は、農業集落排水事業完成記念碑の碑文書きの最中のところである。この場合は、「案文」考案も依頼されている。

手本を横に置きながらのキツイ作業であるが、一瞬小鳥の声が聞こえるような静かな心になる時がある。そんな時、すっと筆が動き、フィニッシュが決まる。
一仕事を終えた爽快感は、なんとも言えない。

写真は、原体地区の圃場整備完工記念碑(H16年設置)で、こちらも案文(豊饒准平原)を含めて依頼されたものである。

 

2005.6.18

我が家の庭に今年も美しい芍薬が咲いた。
なんと言っても「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」(俗謡。美人の形容)である。
何種類かの芍薬のうち、一つは、かつて県企業局を退職する際、秘書役の女性職員から頂いたものである。

手入れは、家族が行うので、私は眺めるだけであるが、何かで頭が一杯の時に、ふと気が付いて見つめ、香りを楽しんでみるのは、何とも心が安まるものである。
心身に小さくとも新たなエネルギーを注がれる思いである。しかも相手は、芍薬である。リッチな気分この上ない。

著名な俳人高浜虚子(たかはまきょし。1874-1959)の句に
白牡丹といふといえども紅ほのか
がある。
芍薬のほのかなピンクの色をみると、いつもこの名句が思い出される。

 

2005.6.12

「COOL BIZ-クール・ビズ」という言葉をご存じでしょうか。
政府が地球温暖化防止のため提唱した、28度の冷房でも涼しく効率的に働くことのできる「夏の軽装」のことです。
写真(上)は、6月8日の全国市長会議でクール・ビズ姿で登壇した同市長会の役員の面々です。
ファッションセンスの善し悪しは不明ですが、デモンストレーションとリラックスムードを十分演出していました。

写真(下)は、とりあえずネクタイを外しただけの、市長室における私です。

クール・ビズシャツなどの商戦も活発化しているようです。少し、着こなしを勉強してみたい気もします。
なお、市役所では6月13日(月)からクール・ビズをスタートさせます。
皆さんも試してみてはいかがですか !

 

2005.6.3

農事組合法人原体ファームが開設した米パン製造・販売施設「夢の里工房はらたい」のオープニングセレモニーの風景です。
手前の人垣は、挨拶を聞くと言うよりは、目当ての米パンを買うための長蛇の列の一部です。
当初用意した約1000個は、間もなく売り切れたようです。
及川組合長ほかの方々が、滋賀方面に勉強に行った成果をもとに、最新鋭の機器と地元の女性をはじめとするパワーを活用しながら、自信をもってスタートさせたものです。
試食もさせて頂きましたが、パンの風味を保ちつつ、米パンらしい「かんだときのモチモチ感」が何とも言えず、これはイケルと思いました。
米どころの取り組みとしては、遅きに失した感もありますが、なによりも意欲的に研究し、勇気を持って実践した「人財」に拍手を送るべきと思いました。
皆さんも是非食べてみて下さい。

 

2005.5.27

江刺逍遥県下俳句大会の風景です。
江刺は、江戸、明治の時代から俳句愛好者が多く、江刺で行われる県下俳句大会も21回を数えます。
この日は、江刺市生涯学習センターに県内各地から約70名近い愛好者が集い、俳句を競いました。
私は、来賓でもあり、俳句選者でもあります。本来、県レベルの高名な俳句の先生(写真の向かって右側の4人。私は、一番左側)とこのような形で並ぶ者ではありませんが、「名誉選者」ということでしょう。
私の選んだ特選句は、平沢チエ子さん(江刺市)の次の句でした。
田植えより解放されて
ガラス館
しばらく続いた低温下での田植えの苦労が終わり、ほっとした気分で別世界にたたずんでいる姿が浮かびました。
私の提出句
あくまでもつがいとなりて 春の田へ  江山(私の俳号。こうざん)

 

2005.5.13

梁川小学校での課外授業風景です。
小中学校での市長による課外授業は、3年目を迎えました。2年間で中学校すべて(4校)と小学校6校(12校の内)を回り、今年は、残り6校に出かけます。
この日の授業では、6年生20人と楽しく語り合いました。
私の子供の頃の遊びの話を興味深げに聞き入っていました。
今度は、児童からの質問の番です。女の子の手が多く上がり、男の子は遠慮がちです。

率直に好きな食べ物や趣味を聞く質問に混じって、「どうして市町村合併したのですか。合併でどう変わりますか。」という問いもあり、一瞬答えに詰まったような気がします。家庭で、親の話などを聞いて関心を持ったのでしょう。合併して良かったと実感して頂けるように頑張らなければと、改めて思いました。
最後に、子供たちの好きな歌「ミチシルベ」(残念ながら私は、不勉強で知りませんでした。)をみんなで合唱してもらい、心が洗われる思いでした。

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