相原正明の個人オフィスのホームページです

2009年4月〜2010年3月

心象スケッチ 2009年4月〜2010年3月

2009.12.8 父の叙勲(第79号)

叙勲伝達(自宅)

11月6日、県南広域振興局の藤尾局長が我が家を訪問くださり、父正毅(せいき88歳)に叙勲伝達をしていただいた。

父は、この10月1日付けで、自治功労により、瑞宝双光章の栄に浴した。米寿(88歳)になったことによる高齢者叙勲に該当したともいえる。

功績内容としては、県畜産課長(昭和46年度から47年度まで)、盛岡家畜保健衛生所長(昭和48年度から53年度まで)などにおける畜産行政上のものが中心である。
世に数々の表彰はあるが、叙勲は、天皇陛下から頂くものであり、最高のものといえる。相原家としてこれに勝る誉はなく、家族一同喜び、感激した。

また父らしい取り組みであるが、叙勲祝賀会の日程に合わせて、自分史の最終版とも言える著書「米寿のあゆみ」を出版し、参加いただいた皆さんに贈呈することとした。

叙勲祝賀会(父正毅と母ミツ)

自分史としては、昭和61年に「わが来し方わが出会い」を世に出して以来であるが、その間にも、「田谷の婚礼と葬儀の昔物語ーろばたの話し語りからー」(平成5年、田谷老人クラブ発行)、「あの時の思い出ー戦争とその前後ー」(平成7年、田谷戦争体験記を作る会発行)、「橋本の今昔」(平成17年)などの幾つかの著書を出している。
なお、題字は、書家でもある母ミツがいつも担当している。

祝賀会では、息子の私も家族代表で挨拶したが、その中で、「虎は死して皮を留め、人は死して名を残すといわますが、私は、文字を残すべきだと思っています。文字は、百年でも千年でも残り、後世に貢献すると言えます。そういう意味で父の取り組みには敬意を表しています。」と述べた。

著書「米寿のあゆみ」

晴耕雨読というが、父は、著述のかたわら、リンゴや葡萄などを栽培する現役ファーマアーでもある。今後とも、健康で母とともに長生きしてほしい。

2009.11.1 神の国の築地松(第78号)


10月は、神無月(かんなづき)とも呼ばれる(もともとは、旧暦10月の異称であるが、今日では、新暦の異称としても用いられる)。出雲大社に全国の神神が集まって、1年のことを話し合うために、出雲以外には神がいなくなるという。 このため、出雲では、逆に神在月(かみありつき)と呼ばれる。

10月8日、この神の国に降り立った。出雲の国、島根県斐川(ひかわ)町である。出迎えていただいた、町の担当職員の名刺には、左上の築地松の写真が印刷されていたが、その時点では、まるでイメージがわかなかった。

この日は、「全国散居サミット」があり、当市を含む全国6市町(斐川町、富山県栃波市、同高岡市、同入善町、山形県飯豊町、奥州市)の代表が集まり、散居景観を生かしたまちづくりについて話し合い、共同宣言を採択したのである。
サミット直前には、町内の旧家を訪問し、ご当主の話を聞きながら、屋敷に巡らされた築地松を見学した。奥州市地域では、エグネと称して家の周りを杉などで取り巻き、防風などに役立てている。こちらでは、黒松である。
但しである。その黒松の上方を屋根を越える高さのところで、わざわざ刈り揃えているのである。何とも珍しく、印象深いものであった。このような築地松は集落単位で整備されており、町から一定の補助金も交付されている。
私には、全国の神神が、天から舞い降りる際、上から見ても美しく整然としたたたずまいとなるよう、工夫した結果のようにも感じられた。

散居サミット風景

2年後には、奥州市でこの会合が開催されることが決まった。噂を聞いた神神が、ふいに訪れて、空から眺めないとも限らない。
さてどうしたものか。「考え過ぎ !」との声あり。
ともかく「散居のまち奥州市」を全国に印象づけるための、新たな取り組みを頑張ろう !

 

2009.9.27 西沢目大名行列(第77号)

大名行列

9月12日(土)、江刺区梁川地区で、6年ぶりに、市指定無形民俗文化財「西沢目大名行列」が行なわれた。
これは、江戸時代の仙台藩野手崎領主の小梁川氏による仙台への往復を再現したものである。
明治6年に地元の松尾神社の村社昇格を機に、西沢目集落により、例大祭行事として、受け継がれてきたものである。
資金を含めた諸準備のため、毎年ではなく、5、6年を目処に実施されてきている。

庭の曼珠沙華

実は、この日は雨の予報であり、一同心配していたが、まるで天佑のように朝の雨は上がった。
梁川の町場の今野昭三さん宅で、地元婦人の方々から着付けをしていただき、庭元の菊池喜美雄氏宅に赴いた。菊池家では、膨大な量の装束や道具を保管されている。

午後1時30分、お先払い、弓組、鉄砲組、御箱、小姓、草履取りなど総勢80人近くの陣容で、菊池家を出立した。馬に乗るのは、殿様役の私、家老役の今野昭三さん、典医役の今野郁郎さんである。
行列は、途中で何度か行進を止め、奴たちが一定の所作(写真参照)を行なう。
沿道には、多くの人々が列を成して、カメラを構えながら、見入っている。馬上から手を振ると、最初はためらいがちな観衆も、喜んで大きく手を振る。

殿様役の私

ところで、この大名行列は、細かい動作まで、しっかりと受け継がれている。殿様の場合、馬に乗る際は、台などではなく、人の手によって足を支えてもらい、大刀と陣笠は、馬上で受け取り、自ら一定の作法で身に付ける。草履も騎乗後に取り替えられるなどである。
小姓役の人は、中腰で側に控えるので大変そうである。

いよいよ到着し、終了後、記念写真を取ろうとしたら、小姓役の人(年配者)が傍らに中腰で、刀を捧げたまま侍ったのには、驚いた。
さすが、徹底している ! お見事 !

 

2009.8.29 北上川の懐に抱かれて(第76号)

川船遊覧

8月16日(日)、j前沢区白山地区の大曲の水辺広場(大曲橋上流部)で、「第7回川まつり」が開催された。
「大曲の水辺に夢をつくろう会」が中心になって、実行委員会を組織し、開催したもので、川船遊覧、カヌー体験教室、川船レース「大曲カップ」など多彩な行事が組まれている。

開会式では、地元民を中心とした大勢の人々を前に、お祝辞を申し上げた。
「大曲の水辺に夢をつくろう会」さんは、河川愛護活動が高く評価され、先月、国土交通省東北地方整備局から、表彰されている。
また、白山小学校4年生の皆さんによるエコクラブは、北上川の生態系調査や川に隣接した花壇で花を育てるなど、自然の大切さを体験しながら学習している。
さらに、国土交通省では、こうした活動を評価し、船着場を築造している。
祝辞では、こうしたことに触れながら、お話しした。

開会式が終わった頃、実行委員会副委員長の鈴木福美雄さん(白山地区振興会長)から声をかけられ、遊覧船に体験試乗することになった。
だいだい色の救命胴衣をつけて、さあ、船出である。
この日は、穏やかな晴天で、風も強くなく、川面も静かであった。従って、船の揺れも少ないことから、余裕をもって景色を楽しむことができた。

本部席にて

以前、江刺区の稲瀬地区で、同様に北上川にゴムボートで入り、川の中から地域の姿を見たことがある。あちこちの川岸がすぐに手の届くところにあるような気がする。船でするすると近づけるからだろう。
北上川は、かっては、物流の中心であり、舟運を基礎として各地方の街が育っていった歴史がある。
これから、新しい時代を迎え、北上川を軸にもっと自然に親しみ、地域間の交流を進めることが必要だと感じた。

ときに優しく、頼りになり、また、ときに大暴れする「母なる北上川」。
今日は、その懐に抱かれて英気を養うことができた一日であった。

 

2009.7.18 消防操法競技会の思い出(第75号)

水沢区消防競技大会

7月12日(日)、水沢区と衣川区で相次いで、消防競技大会があった。市長は、統監を兼ねるため、数え切れないくらい、セレモニーも体験している。
初体験は、実は、平成4年に県職員から、滝沢村助役に派遣された時であった。助役は、副統監である。
その頃の思い出を綴った拙作(平成4年頃作成)を以下に紹介したい。

ふくとおーかん(副統監)にたいしー、けいれいー(敬礼)、かしらー(頭)なかっー(中)。何十人も整列した消防団員の統率者から大きな声が、発せられる。全ての団員が踵を揃え、壇上の私に向かってサッと手を上げ、敬礼する。
それを見て私は、右手を目の高さまで上げて答礼する。
(中略)

衣川区消防操法競技大会

今日は、村消防訓練競技会。各分団(10分団)が自動車ポンプ操法などを競い、郡大会の出場チームを決めるのである。統監(村長)挨拶など一通り終わった後で、この場面となった。
二、三日前の助役室。消防防災係のK君が、盛岡西消防署滝沢分署の職員を伴ってやってきた。真新しい制服を着せられ、副統監章を右胸に付ける。制帽を被ったところで、分署員から敬礼の仕方を教わる。
踵の位置、背筋、左手の指先、帽子のつばの角度など細かい注意を聞く。
当日の朝は、公舎(マンション:ロフティ滝沢)でも練習した。緊張でうまくいったかも覚えていないが、とにかく終了し、ヤレヤレといった感じである。

大きくなってきた我が家の葡萄

その後、このような行事のあったときに、敬礼の形を忘れかけ、K君をつかまえて尋ねたところ、忙しそうにしながら、「偉い人の敬礼は、どうでもいいです。」と言われてしまう。
お陰で、その後は、気楽に敬礼。

あれから、15年後の私は、格段に進歩したであろうか。それとも、かえってアバウトになり、後退したであろうか。K君に見てもらいたいものだ。

 

2009.6.21 奥州市オープンガーデンのまちづくり計画(第74号)

オープンガーデン(水沢区佐々木いくさんの庭)

今年3月に「奥州市オープンガーデンのまちづくり計画」を策定した。オープンガーデンの取り組みについては、私のマニフェストに沿って、及川ヒロ子さん始め、リーダーの方々の協力を得て、就任早々、好調に滑り出した。
ところが、昨年6月のマニフェスト外部評価(早稲田大学マニフェスト研究所に評価依頼)では、マニフェストに記載されている「オープンガーデンのまちづくり計画を策定」という部分が実施されていないとの指摘を受けてしまった。

さつき「日光」〜さつき展から

そこで、策定委員会(会長:及川ヒロ子さん)にお願いして、計画を作っていただき、それに基づいて実施する運びとしたものである。
それはそれとして、オープンガーデンの取り組みは、順調で、評判も上々と感じている。毎年、バスツアーの形での見学会も行なわれている。
今年は、19人の方々が実施することになったが、5月12日には会員中心の視察会があり、私も参加した。
写真は、一人暮らしの老婦人佐々木いくさんの庭である。飾らない自然な雰囲気の中の、愛情のこもった手作りの花々が印象深かった。

ところで、この計画には、奥州市の北の玄関口にあたる国道4号線沿いのフラワーロードの整備も謳われている。
ここは、珍しく国道の上下線の間が広い空き地(約2.3haの分離帯)になっているが、かって空き缶の投げ捨てが続出し、良い光景ではなかった。そこで、旧水沢市内の各種団体が協議し、大事な玄関口を守ろうと、昭和57年からボランティアの形で、フラワーロード作りを始めたものである。

フラワーロード全体作業

しかし、近年、市の補助金が漸減し、活動もややマンネリ化し、抜本的なてこ入れが求められていた。
最近佐倉河公民館長兼地区センター長の菅原睦夫さんが、水沢フラワーロード運営委員会の委員長に就任し、強力にリニューアル事業を推進し始めた。
今年度新たに4百万円余の予算を獲得するとともに、参加団体も高等学校はじめ、14団体も増やした。”感服”。
6月14日午前6時、今年の全体作業が開始された。700人もの参加の中、例年よりもいきいきと整然と進められた。きっと、素晴らしい玄関風景となること疑いない。「奥州市オープンガーデンのまちづくり計画」にとっても大きな前進である。”感謝”。

 

2009.5.17 奥市長とのふれあい農作業in胆沢(第73号)

田植え一段落後みんなでパチリ

5月16日(土)は、曇り時々晴れのまずまずの農作業日和となった。公用車(エコカー・プリウス)に乗り、胆沢区の西部(奥羽山系寄り)にある、小山字下中沢の中沢集落に向かった。
15分前に到着したが、既に20人ほどの地域の人たちや市役所などの関係者が勢ぞろいしていた。

この地域は、平成16年に国営の圃場整備事業が完了し、見事な大区画(平均60a)の水田が広がっている。今日は、佐藤光宏さん所有の1町歩区画の田で、大型田植え機(8条植え)に乗って作業することになっている。

8条植え乗用田植機での実演

早速説明を受け、緊張しながら試乗する。昨年の衣川区石生地区での田植え以来である。運転席は、広く、ゆったりとしており、まるで高級車に乗っているようである。佐藤さんが同乗し、要所要所でアドバイスしてくれるので、安心して運転した。それでも、力んでしまい、必要ないのに両足を踏ん張ってしまう。

植えた苗が曲がるか曲がらないかが、ポイントであり、”観客”もそれが楽しみで見ているらしい。コツは、運転席の前に突き出ている目印をやや遠くの目標物に合わせて進むことだ。ただし、佐藤さんが、「あの青い服を着た人に合わせたらいいですよ。」というので、その人物を目標にしていたら、つつっと横に動かれてしまい、慌てる一こまもあった。-予期(横)せぬ出来事?!ー

水田そばでの座談会

終了後、植えたばかりの田んぼを見下ろす小広場にシートを敷いて、”たばこ時”ならぬ、お茶と「がんづき」での一服である。車座トークの始まりでもある。
「高値で売れる品種の『ひとめぼれ』を作付け、食味・品質ともに良いものを農協に出しているが、標高130m以下の地域(中沢地区は、およそ160m)で生産されたもののみ『ひとめぼれ』として買い入れるというルールがあるため苦労している。地球温暖化の時代でもあり、基準を見直してほしい。」、「転作大豆は、交付金のみに頼らず、品質と収量のアップに努めることが大事」、「産直活動で家庭の婦人が収入を得るようになると、化粧品にも手が届きやすくなるせいか、綺麗になり、家の中も明るくなる。」など話題が尽きなかった。

市長として、できるだけの対応努力を約束しながら、心の通う、楽しい話し合いの場を後にした。

 

2009.4.19 父母出席の老人クラブ総会での祝辞(第72号)

老人クラブ総会風景

今年も地元の老人クラブの総会の時期になった。地元とは、田谷(たや)部落で、橋本、三百刈田、酉丸、前中野、後中野、海老島、中谷木、落合の小部落から成る。なお、私は、橋本部落の所属である。

参加者は、50人ほどにもなろうか。その中に、父正毅(87歳)と母ミツ(82歳)がいる。毎年のことではあるが、考えてみれば、両親を目の前にして祝辞を述べることができるとは、幸せなことである。

市長祝辞の中で、「両親そして私がが常日頃お世話になっていることに、改めて御礼申し上げます。両親の前でのスピーチとなると、小学校の授業参観の光景を思い出します。全国の市長の中で、このような形で挨拶できる人は、稀と思います。大変ありがたいことです。」と述べる。

父(87歳)・母(82歳)と家族の近影

父は、晴耕雨読の毎日であるが、家の周りの畑で、リンゴ・葡萄それぞれ数本分の生産を手がけ、見事な果物に育て上げている。家族で食べるほか親戚などに配る程度であるが、リンゴ(品種:フジ)は、初夏の頃まで貯蔵し、食卓に上げている。葡萄は、私の子供の頃から我が家にあるものであり、朝露の中で一粒つまんでは、思い出と味を楽しんでいる(私)。
一方、書斎では、自分史、地域文化史などをまとめ、これまで何冊も本に仕上げている。

母は、主婦一本の人生であるが、書道歴が長く、自宅で書道教室を開いているほか、時に書に関する作品を発表している。
私も十数年間ほど、妻と2人の息子とともに、母の指導を受けてきた。市長になってからは、そうした時間が取れないのが残念であるが、多数の揮毫などを依頼される立場上は、こうした経験が大いに役立っている。無論、いつでもすぐに「手本」を書いてもらえる、”大変恵まれた環境”に感謝している。

参加の方々(父も写っている)

ところで、この会場に我が同級生が2人出席していたのは、”ショック”でもあった。私も会員資格のある60歳を越えている(満61)ことを思い出した。
残りの人生を”世のため人のために”と改めて思った。

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