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2023年4月~2024年3月

 2023年4月~2024年3月

2023(R5).6.30   ― 母の一周忌―噂供養に生前の写真を放映 ― (第 122 号)

故母ミツ(享年97歳)の命日に当たるこの6月17日、菩提寺西念寺で一周忌法要を行いご親戚の方々十数名に出席いただいた。墓参後は、会場をホテルに移してお齋(おとき法事などの際に開かれる食事の席)を催した。早速一室で写真屋さんによる記念撮影。この写真は帰るまでに出来上がり配られ、親族の節目の写真となる。こうした写真がないと親戚の方々の最近のお顔や代替わりで若い初対面の方が出席された時などお顔が思い出せなくなってしまう。

ところでこの日のために1周間以上前から準備を進めたことがある。それは一つは、書家であった母の沢山の色紙と額入りの書の一部を形見分け的にお上げすることである。色紙の方は出席人数よりやや多い数を会場端のテーブルに並べたところ一人一枚手に取られたようであった。額入りの書の方は母の兄弟姉妹(全員逝去)の跡取りの方々3人に1点ずつお渡しした。

本稿のタイトルに関わるもう一つは、母の生前の写真画像の放映(私が思い出話を交えて解説)である。会食が始まって間もなく始め、いわゆる噂供養(故人の思い出を語り合うことで故人の供養につながる)の材料にしようという趣旨である。

用意したのは母の若い頃(女学生)から最晩年の頃までの写真57枚である。

この準備には1週間~10日を要したと思う。母が嫁入りの際に持参した古いアルバムから始まって沢山のものから探し、選ぶのは大変であった。いや実は楽しくもあり、涙が溢れる(こぼれる)こともありであった。最も頼りにしたのは父(故人。享年100歳。母より3年ほど前に逝去)が最晩年に自分が大事と考えた家族の写真を集約したアルバムであった。何やら父から「折角の機会だからこれも出してはどうか」と助言されている気がした。

中には、私が3歳の時に父母と3人で写真館で撮った記念写真(写真1)があり、見たこともないような笑顔の美しい母と小学生時代の私・妹の並んだ写真(写真2)もあった。

改めて父母の慈愛を想い、感謝する機会となった。

2023(R5).5.31   ― メールマガジンへのご返信 ― (第 121 号)

著述集(第一集)

アサノ知事のメルマガ

私の著述集(第一集)「相原まさあきのメルマガー江刺市長時代」(2013.7.1)のメルマガ事始めに次の記載がある。

「まず、メルマガを始めた動機、理由についてお話ししたいと思います。今年(平成17年)4月下旬に上京した際、東京駅八重洲口付近のブックセンターで、何気なく1冊の本を手にしました。「アサノ知事のメルマガ」という本です。宮城県知事の浅野史郎氏が、平成13年8月から毎週1回(火曜日)発行したメールマガジンを106回分(平成15年9月まで)まとめて表したものです。限られた時間の中で、インターネット検索などで情報を集め、感性の赴くまま一気に書き上げたようです。書く内容としては、比較的まじめな硬い題材を選んでいるとのこと。小泉首相のメルマガに刺激を受けた様子でした。

私に何かピンとくるものがありました。首長として幅広い分野で見識を高め、考えや思いをわかりやすく発信する良い機会になると思いました。さらに調べてゆくと、メルマガの発行は、ホームページとセットで、いわばそこを発信基地として行うことが良さそうだと気づきました。早速ホームページビルダーソフトを買い求めて取りかかることになりましたが、私のコンピューター知識・技術ではいかんともし難く、加入プロバイダーのえさしわいわいネットスタッフの全面応援を頂き、ようやく「こちら相原正明行政文化小園」を立ち上げました。」

このようにして江刺市長当時の2005(H17).6.1に第1号を発信したのであった。同市長時代は月2回のペースで15号まで発行し、やがて新市奥州市の市長選挙のため一時中断、奥州市長就任後の2006(H18).4.18に第16号として復活させた。その後は原則月1回のペースで書き、発信してきた。2010に市長退任後はNPOいわて未来研(立ち上げ後法人化)会長として継続し、2023.5には114号となった。

発信先リストは出入りも多く、一時は800名ほどに達したが、現在は700名余である。反応はと言うと、10名程度の常連が返信で感想などを寄せてくれており、必ず礼メールを出すことにしている。大部分は無反応であるが、本年5月に十数年もご挨拶の機会もなかった某大手会社の幹部社員TN氏から次の返信が届き感激した。一部省略等しながら紹介する。

「KK㈱岩手工場在職中から市長相原様には大変お世話になりましたKKのTNです。『北京の蝶 於江刺体育文化会館』の北川正恭氏(早大教授)、増田寛也氏(岩手県知事)と江刺相原市長の討論会に参加し、相原市長の威風堂々たる姿に感動したのが最初です。市政に関してもですが、工業団地企業協議会、農家民宿・・・など大変お世話になりました。メールマガジンでも勉強させていただき、また岩手の様子を知ることができました。私、この6月の定時株主総会をもってKKを退任(退社)いたします。このメールアドレスも使えなくなります。これまでメルマガの配信をありがとうございました。先週、奥州市役所に挨拶に行きました。若手の皆さんががんばっていました。まだまだ若い相原様の益々のご活躍を期待しております。ありがとうございました。」

このようなご返信を思いがけなくいただくと嬉しく元気が出る。メルマガ発信の意義を改めて得心することもできる。また頑張ろう!!

 

2023(R5).4.30   ― 著書贈呈へのご礼状 ― (第 120 号)

添え書き

著述集Ⅲ

お礼の手紙など

「相原正明 随筆・エッセイ 著述集Ⅲ―初代奥州市長2年目の軌跡・滝沢村助役心象スケッチ」(A5判226頁カラー刷り)を2023(R5).2.26付で200部発行した。これを同年2月24日には169箇所に郵送(印刷会社から)し、25部は順次手渡し等した。当面の保留分は31部である。

お送り先は、国・県・市町村立図書館、岩手県知事、県内市町村長、県関係国会議員、奥州市内地区センター、いわて未来研役員・団体会員、親戚、知人・友人などである。このうち、電話・メール・手紙でお礼の言葉を頂いたのは三十数名であった。大変嬉しいものである。この内、印象深いいくつかを誰からのものかを伏せ、また趣旨を損なわないよう一部省略しながら紹介したい。

A氏…「この度の『著述集Ⅲ』ご恵送誠にありがとうございました。用務に追われ先日やっと手に取ることが出来た次第で、御礼が遅くなりました。県職員から政治家へ、その後のNPO活動まで地方自治の先頭で実践者として駆け抜けた30有余年間を、様々なエピソードを交えご紹介頂き、興味深く拝見しました。 人口減少、周産期医療、中心市街地、競馬事業など今なお抱える地域政策課題への取組や、統一地方選を控えマニフェスト選挙のあり方など、市長ご在任当時の実績や問題提起は今なお重く、有効であると存じます。後藤新平、斎藤実を始め傑出したステーツマンを生んだ胆江地域の系譜に、相原様が連なっておられることを改めて感じました。(中略)引き続きご指導ご鞭撻をお願いするとともに、相原様のご健勝を祈念いたします。」

B氏…「このたびは『随筆・エッセイ 著述集Ⅲ』お贈りいただき、ありがとうございました。感想を、とのことでしたので、完読してからお礼をと思っておりましたが、就寝前に読み進めていることもあり、よほど時間が経過してしまいました。大変申し訳ございません。私は、なかなかうまく文章を書けず苦労した思いが残っています。遺伝とはいえ、モノ書きを苦にしないとは羨ましい限りです。滝沢村助役心象スケッチが特にも面白かったです。メールマガジン等は今後参考とさせていただきます。ありがとうございます。(中略)4冊目に向けて歩みを始めたとのこと。今から楽しみにしております。」

このほか、国立国会図書館から頂いた「ご寄贈に対する礼状(受領書)」の文面に、「ご寄贈いただきました刊行物は、広く公共の利用に供するとともに、国民共有の文化的資産として永く保存してまいりたいと存じますので、今後ともよろしくお願いいたします。」とあったのには、我が意を得たりとの想いが込み上げた。後世にも貢献すべくまた歩み出したい。

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