相原正明の個人オフィスのホームページです

2005年4月〜2006年3月

メールマガジン 第1号〜第16号

第16号

拝啓 雪はいよいよ深く、除雪費は、うなぎ昇りですが、いかがお過ごしですか。
メルマガ第16号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第16号(H18.1.15)
相原まさあきの健康漫談

先頃、市民健康大學で、講演を依頼され、その際思い浮かんだことをお話します。

まず、健康長寿とその人の成功との関係です。

正岡子規は、芸術家の寿命について、89人について計数的に調査し、「我が国古来の文学者や美術家を見るに、名を一世にあげて誉れを後世に垂れる人の多くは、長寿の人である。」とし、70歳以上というグループにもっとも偉大な人が多く、ついで、80歳以上のグループである。」としている。

「20歳以上のいわば夭折の天才となると、源実朝(歌人として)ぐらいのもの」と言うのである。「寿命の長い人が、結局は勝ちである。」という。

信長・秀吉・家康の比較は、どうであろうか。
信長48歳・秀吉62歳・家康75歳である。とくに、家康の成功は、秀吉の死後18年も長生きした点にあるように見える。

「馬齢を重ねる」という言葉があるが、目標を立てて、努力しながら年輪を加えていく人にはかなわないと思われる。

次に、飲酒と健康についてである。
酒といかに付き合うか、永遠の課題でもある。飲酒自体は、よほど過ごさない限り、あまり問題ない気がしている。

某小説の中で、かの秀吉は、「酒は良いものじゃ。心の垣根を取り払う。」と述べている。この効用を大事にしたい。
但し、塩分の取りすぎに対する注意が、行き届かなくなる欠点も感じている。

「毎日2、3杯(1杯は小瓶ビール1本)くらいの飲酒は、心臓病の危険を半減させる。酒を全然飲まないか、1日に平均1杯以下しか飲まない人は、かえって心臓発作や心臓病になりやすい。」という米ハーバード大教授の研究結果には、我が意を得たりの思いである。

最後に、心と体のバランスの確保である。
体は、常に脳(精神)の指令を受けて、酷使されている。週に一度は、主客を逆転させて、体の言うがままにゆったりと過ごすことが必要ではなかろうか。

また、私が座右に置いて20年にもなる次の言葉を紹介したい。
小生の究極の健康法でもある。
「1歩家を出たら、家のことを忘れ、1歩会社を出たら、会社のことを忘れる。」

何を置いても「健康第一」。くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第15号

新年明けましておめでとうございます。
近年にない雪深い正月となっておりますが、いかがお過ごしですか。

メルマガ第15号をお届けすべきところですが、諸般の事情により、次の機会とさせて頂き、今回は、ご挨拶のみと致します。
先頃、市民健康大學で、講演を依頼され、その際思い浮かんだことをお話します。

昨年11月27日、奥州市長選(本年3月19日)への出馬表明致以来、公務の合間を縫って(ほとんど早朝の時間帯)、江刺市のみならず、水沢市・前沢町・胆沢町・衣川村の各地域を回り、挨拶回りなどを続けて参りました。

その際、先にメルマガでご紹介したマニフェストのいわば総論編を記載した、リーフレットを手渡しながら、アピールに努めているところです。

正月明けには、タイミングを考えながら、マニフェストの全容を明らかにすることとしており、現在、全くないような時間をやりくりしながら、仕上げ作業をしているところです。

「現職の強み」という言い方が良くされますが、「現職には時間がない」という悩みもあります。ともあれ、「為すべきことを為す」ために、奮闘しております。

その「マニフェストの全容」が整いましたなら、メルマガにてご報告したいと思います。

アドバイスなど、お寄せ頂ければ幸いです。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

小園亭主 敬白

第14号

拝啓 師走に入って二度も大雪に見舞われておりますが、いかがお過ごしですか。
メルマガ第14号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第14号(H17.12.15)
相原まさあき マニフェスト

11月27日江刺市総合コミュニティセンターにおいて、相原まさあき後援会拡大役員会が、約100名の出席のもと開催され、本人に対する奥州市長選(明年3月)への出馬要請が満場一致で承認されました。
私としても、直ちにこれを受諾し、出馬表明致しました。

その際発表したマニフェストのいわば総論編を紹介します。
詳細については、年明けに明らかにする予定です。

新 生 奥 州 市 政 策 宣 言 ー 相原まさあき マニフェスト ー

Ⅰ 決意(mind)

平成の大合併の流れの中で、この胆江地域では、水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・ 衣川村が決断し、それぞれ50年、100年の歴史に幕を引いて大同合併しました。
建郡されておよそ1200年が経つ、胆沢郡と江刺郡の大部分が遂に合流するという意味では、まさに歴史的な出来事と言えると思います。

その結果、人口規模では、県都盛岡市に次ぐ規模となり、農業・工業・商業の産業力においても県内有数の規模を有するに至りました。
今後、来るべき都道府県合併による道州制時代をも見据え、県内のみならず、東北の中核的都市を目指して、この機を逃さずに、強力な新市を創っていかなければならないと考えます。

このような時に当たり、私は、郷里奥州市のために、また、この合併を導いた首長の一人として、市民の皆様とともに、豊かな力強い新市を建設していこうと強く決意致しました。
これまで長年、県行政(企業局長等)や滝沢村(助役)において培ってきた知識・経験と 国・県・市町村・民間の人的ネットワーク、さらには市長経験者としての実績と見識を 活かしつつ、ふるさと奥州市の夢と希望の実現のために、全力をあげて取り組みます。

このマニフェスト(政策宣言)は、こうした決意を具体的に実行するために、可能な限り、数値を掲げながら政策を明示し、後に市民が、実績に照らして首長を評価しやすい ようにするものであります。
もとより、法定合併協議会で承認された新市建設計画を尊重し、これを基礎としつつ 、新生奥州市のリーダーとしてのビジョンを明確にアピールするためのマニフェストです。

[説明] マニフェストとは、もともと政党が選挙において、有権者に対して、政権像とともに具体的な政策の実行案を示した政策集で、政権期間中にどれだけ達成できたかを国民が監視し、検証を可能とする形式で発表されるものです。選挙公約の多くは、「あれもやります、これもやります」式の具体性のない願望リストに留まっていますが、これに対して、マニフェストは、数値をもって具体的に記述している点が特徴です。

今回の市長選挙に臨むに当たり、私は、このマニフェスト方式を採用し、いわばローカル(地方)・マニフェストを提示したいと考えました。このマニフェストは、市民の皆様と私との約束になるものです。

Ⅱ 3つの基本姿勢(stance)

1 清新で公正、かつ、透明性の高い市政
しがらみのない、清新で公正な市政、情報公開の徹底による透明性の高い市政を実現します。

2 対話の市政・市民主体(生活者起点)の市政
市民の皆様との対話を大切にし、市民が中心となる市民主体の市政(生活者起点の市政 )を基本とし、市民からの意見提言を市政に反映させ、市民総参加のまちづくり・むらづくりを進めます。

3 民間経営感覚・企業家精神の行政への導入
市民の視点から、行財政改革を強力に進めるため、民間人の登用、行政部門への企業 参入など民間経営感覚・企業家精神を積極的に導入します。

Ⅲ 5つの戦略目標(strategy)

1 農・工・商のバランスのとれた発展と旧五市町村域の均衡発展戦略
長年の基幹産業であ る農業と工業・商業のバランスの良い発展を図りつつ、農村部と 都市部さらには、旧五市長村域の平等発展・均衡発展を目指します。

2 副県都構築戦略
人口規模県下第二の都市奥州市を名実ともに副県都とするための施策を行います。
5市町村の合併により、人口13万3千人で農業生産力を始め、強い産業力を有する県下 第二の都市を構築することになりました。
まず、こうした基盤を活かし、さらに行政や産業の中核的機能を集中させて副県都を 構築していきます。

3 知識集積型の都市づくり戦略
パソコン、インターネットなどの情報化の新しい波を積極的に市民生活・活動に取り入れるとともに、大学や高度な研究機関と提携し、その知的ノウハウを活かしながら、新 技術導入による産業振興や生活文化の向上に役立てる知識集積型の都市づくりを行います。

4 新教育都市戦略
ヨーロッパでは、都市は、大学とともに成長してきたともいわれます。13万都市を学 生のあふれる学術文化のまちとし、さらには高校・専門学校の高度化、特色化を図り、 子弟の教育の向上に結びつけていきます。
こうした大学の誘致等を含め、教育と芸術文化・スポーツを盛んにし、新しい教育都 市づくりを進めます。

5 子育て環境ナンバーワン戦略
少子化対策は、これから若者の定住を促進し、人口集積を図りながら、新しい地域づく り・都市づくりをする上で最重要となるものと考えます。安心して生み育てられる環境 づくりを強化し、”子育てするなら奥州市で”となるよう総合対策を推進します。

Ⅳ 政策宣言(policy)
別冊として作成(全体編・地区別編)としますが、2、3を以下例示します。

政策1 自治基本条例の制定

[目標] 自治体運営の基本を議会と協議のうえ、市民に明らかにします。
[方法] 市民投票制度などを含む自治基本条例を制定します。
[期限] 2年以内
[財源] 500千円(検討会議経費など)

政策2 学童保育、病後児保育の充実

[目標] 現在、希望しても近くにないために利用できない学童保育や預かるところ が少ないために家族頼みとなっている病後児童の保育問題を解決します 。
[方法] 小学校低学年を対象とした学童保育を必要とする全地区で行います。また 、 病後児保育制度を確立します。
[期限] 2年以内
[財源] 22,000千円(18年度学童保育10箇所拡充分12,000千円、病後児保育委託分10,000千円)

政策3 広域市町村合併の推進

[目標] 東北の中核的都市の形成を目指し、広域市町村合併を推進します。
[方法] 同じ胆江広域圏の一員であり、ゴミ処理などを共同で行っている金ヶ崎町との合併について、同町の事情に配慮しながら、双方の理解と合意を前提に、推進します。また、古来から関係が密接で、世界文化遺産登録でも共同歩調を取り、相互支援の関係にある平泉町との合併について、関係自治体の意見を聞きなが ら、双方の理解と合意を前提に、検討を開始します。
[期限] 1年以内に開始
[財源] 1,000千円(18年度の協議・検討経費)

朝夕、凍結して参ります。くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第13号

拝啓 落ち葉の季節となり、拙句「落ち葉起きて坂道つつと登りけり」(江山)を思い出しておりますが、お変わりありませんか。
メルマガ第13号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第13号(H17.12.1)
未来の都市を創る市長の会

11月27日千葉県銚子市にある千葉科学大学を会場として、第7回未来の都市を創る市長の会が開催された。
メンバー12人のうち、東京都調布市の長友市長、静岡県富士宮市の小室市長、銚子市の野平市長と私の4人が出席し、「都市(地域)の再生戦略を考える」をテーマにディスカッションした。
銚子市民約100名が参加し、最後の市民との質疑応答も熱っぽく行われた。

この市長の会の成り立ちを述べると、私が当選した年(H15)に旧知の間柄の野平銚子市長(同氏が昭和55年頃、岩手県地方課長時代に私は部下職員の立場)と相談し、1期目の市長に呼びかけ、10人程度で勉強会を始めることとしたものである。

現在のメンバーは、岩見沢市、平塚市、流山市、鳥取市、中津市、市原市、目黒区、調布市、岐阜市、銚子市、富士宮市、江刺市の12市区の首長で、年3回(2月・7月・11月)の会合を持っている。

メンバー都市での開催は、17年2月の江刺市、同7月の岐阜市に続いて3回目である。

開始から丁度満2年を迎え、任期を迎える首長もいることなどから、一つの節目と考え、私が提案して、「未来の都市を創る市長の会 宣言」をまとめ、内外にアピールすることとした。

この日、銚子市民の拍手もいただき、採択された宣言文を以下に掲載する。

未来の都市を創る市長の会 宣言

未来の創造的な地方都市経営の実現のため全国から市区長の有志が相集い発足した「未来の都市を創る市長の会」は、平成15年11月20日、第1回会議を開催以降、毎回テーマを設定し議論と研修を行ってきた。
構造改革に関する地方都市戦略、知識社会と地方都市の未来像、行財政改革、産学官連携、個性豊かなまちづくりの創造、教育改革、地方都市の再生戦略など7テーマを掲げて、これまで7回の会議を開催した。具体的な議論を整理すると、
①人づくり(「英語でふるさと自慢」特区、めぐろ学校教育プランなど)
②産業起こし(煙の出ない工場としての大学誘致、都市基盤の骨格再生と産学官連携など)
③地域づくり(個性的で元気の出る地域づくりの推進(一村一地域づくり運動)、銚子賞など)
の3点について重点的に論議してきた。

依然厳しい財政環境にあって、地方分権型の簡素で効率的な行財政経営が求められる中、それぞれの地方都市が光り輝き、独自の歴史文化や自然環境、教育理念に根ざした人づくり、産業起こしを市民との協働のもとに展開していくことが大切である。

以上を踏まえ、当会として次の点を内外に宣言する。

1 特区制度を拡大しながら国の規制を大幅に緩和させ、地方都市の創意工夫によって地域の活力を引き出し、結果的に国家の発展・繁栄に結びつくように自ら努力する。

2 行財政改革は、国、地方を通ずる重要な行政テーマであることから、自らの創意工夫と責任により市民の視点に立った地方都市経営を一層推進し、新規施策のための財源を増やし、三位一体改革を地方都市として享受し得るよう、真に自立した地方都市を目指す。

3 現代は「知の大競争時代」であり、人材こそが最大の資源であるとの認識のもと、教育改革の一層の推進とともに、市民による新たな「知の集積」を通じた未来型地方都市の創造に向けて実践していく。

平成17年11月27日
未来の都市を創る市長の会

会員一同、これを一つの区切りとして、新たなスタートを切る考えである。

寒さが日に日に募って参ります。くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第12号

拝啓 立冬も過ぎ、紅葉した葉が舞い散る季節となりましたが、お変わりありませんか。
メルマガ第12号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第12号(H17.11.15)
道 州 (どうしゅう) 制

私は挨拶の中で、「平成の市町村大合併(3232市町村→1822市町村)の次は、都道府県合併であろう。そして、更にその先に到来する道州制時代を見据え、東北の中核的都市を構築していかなければならない。」と述べることがある。

ただし、道州制と一口に言っても、様々な論があり、明確に定まっているとはいえない。
理解を早めるために、日本国内にどういう道や州が存在しうるのかを見ると、大前研一氏(起業家養成学校塾長ほか)の区割案では、北海道・東北道・北陸道・関東道・首都圏道・中部道・関西道・中国道・四国道・九州道・沖縄道の11ブロックとなる。

もちろん、「東北道」は、「東北州」でも良いと思う。このブロックには、青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島の6県が含まれる。

「大前研一道州制.com」では、道州制論の中には、「①現在の都道府県を合併し広域行政のみを与えるもの」、「②さらに財政運営の権限を与えるもの」、「③さらに立法権を与えるもの」の3つがあるとしている。

①に当たるものは、「都道府県合併」であり、②に当たるものは、政府の地方制度調査会で現在討議されている「道州制」である。③は、いわば諸外国にある連邦制に当たる。

私は、市町村合併が進んで、基礎的自治体である市町村(合併後の市等)の行財政能力が高まり、また、都道府県の抱える市町村数が大幅に減少する中にあっては、まず、都道府県合併を進めるのが自然の流れと思う。
この場合、権限の大幅委譲を行い、都道府県の役割をより広域的な調整の分野に限定していけば良いと思われる。

さらに進んだ形としての道州制については、早期に実現し、今後の日本の長期にわたる地方制度を完成させるべきであろう。

全国市長会の「分権時代の都市自治体のあり方に関する研究会」では、平成17年6月に意見をとりまとめたが、①道州の性格としては、国と地方公共団体の両方の性格を持つ中間的団体ではなく、住民に対し、責任を持つ地方公共団体とすべき、②首長と議員は公選とすべきとしている。

この点については、異論もあり得る。道州が、規模の大きさから、また、権限付与によって、連邦制に近い一種の独立国のようになるが、果たしてそれで良いか。
明治以来の我が国の発展の原動力となった国・地方制度の基本を一気に変えることに無理はないか。

むしろ、中二階的性格を有する都道府県の役割を”発展的に後退”させ、国と都市自治体の2者を基軸とする地方制度が良いのではなかろうか。

この場合、道州は、国と都市自治体間のクッション役・調整役として機能させることになり、国の総合出先機関的性格又は、都市自治体の連合組織体的性格を帯びることになる。
無論、後者を推す。

先日、増田岩手県知事と県市長会との懇談の席で、私が「地方振興局(県の総合出先機関)のより広域的観点からする再編に賛成するが、更に進んで、道州制の検討に入って欲しい。 盛岡以南の花巻・北上・奥州・一関の各十万都市を単に岩手のくくりの中で捉えるのではなく、仙台―盛岡―青森といった道州制的観点で捉えるべき時期に来ていると思う。」と意見を述べたところ、増田知事は、「これまで北東北3県(青森・岩手・秋田)連携を中心に取り組んできたが、今後は、東北全域を見据えた検討も必要と思う。」旨答弁された。

私は、まさに「都市自治体の時代」が到来していると強く感じている。

一雨ごとに寒さが募るようです。ご自愛方お願い申し上げます。

小園亭主 敬白

第11号

拝啓 ナナカマドの赤い実が目に鮮やかな季節となりましたが、いかがお過ごしですか。
メルマガ第11号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第11号(H17.11.1)
少 子 化 対 策

少子化対策は、いつごろから浮上した政策なのか。日本では、1989年(平成元年)に合計特殊出生率が急落した「1.57ショック」をきっかけに始まったとされる。

合計特殊出生率とは、1人の女性が一生涯に平均何人の子供を産むかの数値であり、次の世代につながる人口再生産の程度を示すものである。
一定の計算方式によると、日本の場合、この率が2.08を下回ると人口は減少していくとされる。

実は、1975年(昭和50年)ごろには、2.0を下回り始めており、以来低下傾向が続いている。「1.57ショック」というのは、事の重大性に気づいた年という意味であろう。
2004年(平成16年)には、1.29にまで落ち込んでいる。このままでは、日本は、”沈没”しかねない。

政府の「少子化社会対策大綱」では、少子化の流れを変える視点として、「若者の自立が難しくなっている状況を変えていく」、「子育ての不安や負担を軽減し、職場優先の風土を変えていく」、「生命を次代に伝え、育んでいくことや家庭を築くことの大切さの理解を深めていく」、「子育て・親育て支援(子育てや親自身の育ちを支援)社会をつくり、地域や社会全体で変えていく」ことを掲げている。

少子化の真の原因は何なのか、十分解明されていないように思われる。
自分なりに考えてみると、”結婚が遅くなり、つくる子供の数が減っている。”。”女性の社進出が進み、子育てで仕事を中断すると職場復帰が難しくなるため容易に子をつくれない。”、”高学歴化が進み、子供を1人増やすと大学進学まで考えたときの家計負担が大きすぎるので、沢山つくれない。”
こんなところがすぐ浮かぶ。
国、地方自治体、NPO、ボランティア団体が知恵を集め、協力しながら一つずつ積み重ね、前進させていくほかはあるまい。
江刺市では、私の就任後、結婚支援アドバイザーの設置、学童保育(小学校低学年)実施地域の拡大を行ったが、来年2月発足の奥州市では、保育料の第3子以降免除制度が導入される。

先日、市内のボランティア子育て支援グループ「わくわくママ隊」の皆さんとディスカッションしたが、「子供のちょっとした悩みを聞いてあげ、あるいは若い母親の気分転換に少しの時間子供を預かる、といった取り組みなどで精神的ストレスを解消してあげることも現実的に大切で、もっと子供を産み育てる意欲にもつながるのではないか。」という話も印象に残った。

一方、政府の少子化対策はピントがずれているとするハッピーライフ実践会代表鈴木雅幸氏(心理カウンセラー)は、「子を生み育てるという行為は、そこに大きな悦びがあり、命の尊さを知り、人を愛するという行為そのものです。時間やお金の誓約ぐらいで放棄するような代物ではありません。そこに悦びや生きがい、純粋な愛情を見いだせないと判断するからこそ、女性は、子を生まなくなるのです。」と述べている。

諸外国では、出生率を回復させるため、年金制度を工夫し、成果を上げたフランスとスウェーデンの例がある。 たとえば、フランスでは、3人の子供を9年間養育した男女に10%加算するなどし、出生率を1994年の1.65から2002年に1.88に回復させた。

最後に、万葉の歌人山上憶良(やまのうえのおくら)の次の歌を紹介する。

瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処より 来たりしものぞ

眼交(まなか)いに もとな(注:むやみに)かかりて 安眠(やすい)し 寝(な)さぬ
銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに
まされる宝 子にしかめやも

私は、このような歌のスピリット・想いを伝えていくことも大事と思う。

もう朝夕はストーブに頼る季節となっております。くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第10号

拝啓 紅葉を見つけては秋の深まりを感ずるこの頃ですが、いかがお過ごしですか。
メルマガ第10号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第10号(H17.10.15)
ローカル・マニフェスト

マニフェストという言葉は、大分定着してきた。仙台市長選、宮古市長選などでも注目され、マニフェストに基づく公開討論会も企画された。

マニフェストとは、英語で国政選挙の際に政党が発表する政権公約のことで、「はっきり示す」というイタリア語が語源である。
日本では、地方選の候補者が作る政策綱領をローカル・マニフェストとして、政党版と区別している。

少し遡ってみると、平成15年秋の総選挙で有名になったが、初登場は、その年春の統一地方選といわれている。
増田寛也岩手県知事の「2年間で公共事業費などを200億円減らす。1万5千人の雇用を創出する」などが注目され、以降各地に広がった。
なにより、数値目標と達成の期限、財源などを明示するから、住民にもわかりやすい。

この点に関して、増田知事は、「平成14年11月、当時の北川正恭三重県知事に『マニフェストを勉強しながら、選挙をよくしていこう』と誘われました。私が、1ヶ月以上かかって作ったマニフェストを見た北川さんは、『よくできた。これが日本第1号のマニフェストだ』と感謝してくれました。」と新聞紙上で述べている。

また、当選後は、マニフェストに沿った政策について県民の理解を得られやすかったこと、職員が直ちに理解し、協力してくれた旨の話を語っている。

平成16年9月8日、早稲田大学において、第1回ローカル・マニフェスト検証大会が開かれた。その際の”檄文”を紹介する。

「政治家が無責任、役人が先送り、有権者が白紙委任。この三者の無責任体質、『お任せ政治』から、今こそ脱却し、真の『民主政治』を確立すべきである。
そのためには、破られても当たり前という『選挙公約』を改め、守るべき政権公約『マニフェスト』の普及、質の向上、検証体制の確立を図り、政治に信頼を取り戻すことが重要である。

主権者が、ローカル・マニフェストを厳しくチェックして、投票行動に移し、当選後も検証をして、民意が反映される『マニフェスト・サイクル』を作り上げ、定着させることが必要である。
私たちは、まず、自らが率先してこれを実践し、全国にこの運動を広めていくことを表明し、以下提言する。(略)」

平成17年2月4日には、全国レベルのローカル・マニフェスト推進首長連盟が結成され、185人の首長が当初参加しているが、私もその一人である。
さらに、同年5月18日に盛岡市内でローカル・マニフェスト推進ネットワークいわて結成大会が開かれたが、その場にも駆けつけ、伊達岩泉町長、中屋敷雫石町長とともに、激励の言葉を述べたところである。

ローカル・マニフェストについては、地方選挙において、告示後は配布できないという制約、あらゆる項目について財源を含めた数値を出すことの困難性が、言われている。

前者については、法改正を求めているところであり、後者については、「すべて数値を出さなければならないわけではない。大事なことは、やろうとすることが分かること」(西尾勝国際基督教大学大学院教授)の考え方で乗り切れば良いと思う。

まだまだ未知の分野である。世界に一つだけのオリジナリティあふれるローカル・マニフェストを作って、有権者と活発に議論してみてはいかがだろうか。

朝夕めっきり冷えて参りました。くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第9号

拝啓 田圃にはホニオ(稲架)、畑には真っ赤なリンゴの季節となりましたが、お変わりありませんか。
メルマガ第9号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第9号(H17.10.1)
世界文化遺産

最近、岩手県職員の名刺を頂くと、中尊寺金色堂などの写真入りで「平泉の文化遺産を世界遺産へ」と大きく記載し、ピーアールするものが多くなった。

名刺の裏には、「平成20年の世界遺産登録を目指しています。」とやや大きめの文字があり、更に小さめの字で次のように書かれている。

「平泉の文化遺産は、平安時代末期に、奥州藤原氏四代が約100年にわたり、都の文化の影響を受けながら独自に発展させた仏教寺院、浄土庭園などのすばらしい黄金文化遺産群です。また周囲を取り巻く豊かな自然景観と一体となった文化的景観は、『世界でも例のない貴重な遺産』と評価され、平成13年4月、世界遺産の暫定リストに登載されました。」

「世界遺産」とは何かについて、いまや知らない人の方が少ないかもしれない。
1972年(昭和47年)のユネスコ総会において、世界遺産条約が採択され、3年後に発効されて以来、締結国は、176ヶ国(平成15年3月現在)に及んでいる。

世界遺産は、「文化遺産」、「自然遺産」及びこの2つの特徴を併せ持つ「複合遺産」の3つに大別されるが、平成13年12月末現在の登録は、文化遺産554件、自然遺産144件、複合遺産23件の合計721件となっている。

日本は、平成4年9月に条約締結し、現在、文化遺産10件、自然遺産2件の合計12件が登録され、さらに、暫定追加リストに4件が加えられている。

文化遺産の10件は、法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、古都京都の文化財、白川郷五箇山の合掌造り集落、原爆ドーム、厳島神社、古都奈良の文化財、日光の社寺、琉球王国のグスク及び関連遺産群、紀伊山地の霊場と参詣道であり、自然遺産の2件は、白神山地、屋久島である。

暫定追加リストの4件は、彦根城、古都鎌倉の寺院・神社ほか、平泉の文化遺産、石見銀山である。 (注:いずれも登録等順)

ところで、わが「平泉の文化遺産」であるが、現在、中尊寺、毛越寺とその周辺地域がコアゾーン(核心地域)として指定されている。また、一関市本寺の骨寺荘園跡、衣川村の長者が原廃寺跡、前沢町の白鳥館遺跡などの発掘調査が進められており、早い時期のコアゾーン確定が望まれている。

特に、衣川村と前沢町は、来年2月の奥州市合併のメンバーでもあり、順調な進展を心待ちしている。

さて、世界文化遺産に登録されると地域は、どう変わっていくのか。
9月18日、「世界遺産サミットin平泉」が同町で開かれ、奈良県斑鳩町長、岐阜県白河村長、栃木県日光市長ほかの方々が、登録地域におけるこれまでの問題点、課題、対応策などを述べた。

「観光客が増えて、商売を営んでいる人はいいが、地元住民の中には『心が休まらない』という人もいる。」、「お客さんが増えて林業に支障をきたす面がある。」、「当初ゴミがふえるだけという懸念が出た。」、「田んぼを潰して駐車場をつくればお金になる。そういう動きが出てくると、遺産は守れても農地・農村景観は守れなくなる。」といった問題点や課題が出された。

対応策としては、「景観条例を設け、寺社周辺の土地には高さ制限を設けるなどしている。住民も自分たちで守っていくという気持ちを持つことが大切である。」、「訪れる人にマナーを守ってもらう仕組みを作ることが大事と思う。」、「世界遺産を保護、活用するには多くの関係者が一同に会して議論を重ねることが大切である。」などの意見が出されていた。

世界遺産登録とその後の地域づくりへの活用は、一にかかって、「住民の理解と熱意」にかかっている。

このサミットで基調講演した中尊寺・千田貫首の「清衡公は、戦う城ではなく、蝦夷や官軍、鳥獣を問わず、あまねく魂を導こうと寺を建立した。敵味方の恩讐をこえて心の中から憎しみを消そうとした。これは、戦争が人の心の中で始まるという、ユネスコの精神と同じだ。」という言葉は、平泉文化遺産の真髄を示すものではなかろうか。

こうした精神をしっかりと認識し、全世界にアピールしながら、平泉文化遺産の世界遺産登録とその後の活用について、地域住民一丸となって取り組んでいきたいと思う。

深まる秋に寄せて拙句を一句   秋風や時計の針がつと動き   江山(こうざん・小園亭主)

時節柄、くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第8号

拝啓 見渡す限りの田園が黄金色の稲穂で埋る季節となりましたが、お変わりありませんか。
メルマガ第8号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第8号(H17.9.15)
副 県 都

「副県都」とは何か。国語辞典にもない。インターネットの「Google」で検索してみた。
最初の10件の紹介の中に、当江刺市のニュースがあり、「これまでの本市の基本姿勢は、胆江6市町村による農・工・商のバランスがとれた15万都市・副県都づくりである。」とある。
これは、いわば私の持論であり、人口のみならず、都市の総合力での「准県都」をイメージし、それを構築しようとするものである。

他の都市の取り組み例は、どうか。
県内では、北上市が、「工業製品出荷額・農業粗生産額がともに県内1位、人口が県内2位の副県都」という表現を用いている。

県外では、宮城県古川市に関する報道の中で、「古川市は副県都を目指すほどに大発展しており、人口もどんどん増加中で、現在74,200人強の都市である。」という記事があるものの、古川市の総合計画などには特段の記述がない。

また、岐阜県本巣市のホームページに「県都岐阜市まで20分ほど、副県都大垣市までは30分ほど」という記事があるが、当の大垣市の計画資料には、そうした記述が見当たらない。
なお、高知県の「市町村合併に関する要綱(平成13年2月)」では、合併の類型として「副県都形成型」というものがあるが、内容としては、「高知市と連携して県全体の発展を牽引する県下第2、第3の都市づくり」となっている。

以上のとおり見てくると、副県都についての明確な定義がなく、まだ定まったイメージも無いことになる。敢えて言えば、人口規模が県下第2位程度ということを基本として、産業力などを加味しながら、「副県都」を想定していると言えよう。
要は、これから、副県都像を”創造”していかなければならないことになる。

その場合の参考として、首都機能移転議論を見てみよう。
ここに、早稲田大学水島ゼミの「まだまだある首都機能移転案」という資料がある。
その中では、「重都」の考え方として、「仙台都市圏での第二国会議事堂、国立情報センターの建設など東北地域、仙台都市圏への首都機能の分散配置」の提案を紹介している。

また、「展都」としては、「首都機能全般を分散させる。」ことと、「研究機関や政府機能の出先機関の一部、つまり東京になくてもいいものを分散させる。」という二つのタイプを述べている。
さらには、「分都」として、「すべての都市機能の地方への分散」と「特徴のある機関(最高裁や特許庁など)の地方への分散」を述べ、「政経一括移転」として「首都機能だけでなく、経済を担う企業の本社なども移転」という考え方を展開している。

副県都を論ずるに当たっては、以上のような観点も取り入れながら、県都盛岡市に次ぐ機能を次第に充実させていくことが大切である。
来年2月に誕生する奥州市は、人口(133千人)、面積(993平方キロ)、農業産出額(267億円)、市町村民所得(3,077億円)がいずれも県内第2位、年間商品販売額(2,438億円)が第3位、工業における製造品出荷額(1,571億円)が第6位と、副県都の”基礎体力”を備えている。

あとは、いかに県都盛岡市の機能に迫るかである。
県内の良きライバル都市と競い合いながら、国・県の中核的機能あるいは拠点的機能(県の広域振興局など)の移転・集積、さらには全県レベルで経済や文化を担う企業・団体の計画的立地を推進していくべきと思う。

千里の道も一歩から。まず、夢(方針)を持ち、それに向かって努力し続けることである。
気がつけば、副県都を越えて、仙台と盛岡の中間にある”東北の中核都市”に育っているのではなかろうか。(「大風呂敷 ! 」との声あり。それでケッコウ。)

朝夕が格別に涼しき折柄、くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第7号

拝啓 窓の外では虫の音が一段と騒がしくなっておりますが、いかがお過ごしですか。
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相原正明行政文化小園 メールマガジン第7号(H17.9.1)
大学誘致物語

地方都市にとって、その都市の中に大学があるということは、永年の果てない夢である。
何が魅力なのか。
まず、自分たちの子弟の就学機会が大きく向上する。身近で親しみやすいし、遠方の大学の場合に必要な、アパート代、交通費なども軽減され、親の負担が軽くなり、就学しやすくなる。

教授陣を中心とした知的集団や最先端の施設設備等を、「知の拠点」として活用しやすいというメリットも大きい。当然ながら、多くの学生がまちに暮らすことによる活気、経済や文化面のパワーアップには、計り知れないものがある。

最後に添えなければならないことは、都市のステイタスである。都市の総合力を計る上で欠かせないものと思う。本来、大学と都市は密接不可分で、都市の発展には大学が不可欠であり、大学の発展には都市が不可欠であるといわれる。西洋の諸都市では、大学が都市をつくり、都市が大学を育んできた事例は多いとされる。

平成17年4月、千葉県銚子市に学校法人加計学園(岡山市)による千葉科学大学がオープンした。薬学部と危機管理学部の2学部で、学年定員合計410人(薬学部200、危機管理210)であるが、初年度の入学者数は、532人となった。ちなみに、競争倍率は、薬学部23倍、危機管理学部3倍であった。

銚子市においては、三十数年来の悲願がここに達成されたのであるが、これは、野平匡邦市長(平成15年に結成した「未来の都市を創る市長の会(会員十名余)」のメンバーでもある)の手腕によるものである。
同市長の岡山県副知事時代の人的ネットワークの賜とお見受けする。

ところで、銚子市が用意した支援は、どういう内容だったのか。
まず、土地(市有地)9.8ヘクタールを無償貸与し、建設費約160億円のうち92億円余(後日70億円台に軽減)を市が寄付する(財源は地方債ほか)というものであった。
このため、人口7万人余の銚子市の負担が過大であるなどとして、反対運動も起こったが、野平市長の強いリーダーシップにより、実現にこぎ着けたものである。
開学2年目を迎えた銚子市では、学生数が千人を超え、学生向けワンルームマンションの建設ラッシュとなっているという。経済波及効果も大きい。

他のケースを紹介しよう。
平成11年春に、立命館大学などを経営する学校法人立命館(京都市)が、大分県別府市に立命館アジア太平洋大学(入学定員は、アジア太平洋学部・国際マネージメント学部の2学部で計800人)を開学したが、この時の地元自治体の支援は、総建設費297億円のうち、150億円を県が、42億円を市が負担するというもの(銚子市資料)であった。
なお、当時の平松知事によると、全国数十の大学に直接アプローチをかけたところ、一番反応が良かったのが同大学であったとのこと。

また、平成13年春に学校法人国際技能工芸機構(H12設立)が、ものつくり大学(入学定員は、技能工芸学部100人)を埼玉県行田市に開学したが、この時の負担額は、総建設費124億円のうち、国58億円、県29億円、市17億円というもの(銚子市資料)であった。

このように、負担の仕方も程度も様々であるが、正直なところ、現今の地方財政の状況からは厳しい。また、学生減少時代に入り、新たな立地のハードルはますます高くなっていると思われる。
しかし、大学側も激しい生き残り競争の中、適切にリニューアルを果たしていかなければならず、そうした中で、都市経営や地域経営の主体である自治体との提携を強化し、活路を開くことが不可欠とみられる。
即ち、地方都市の側から見ても”勝機”はある。

市町村合併によって強力な行財政基盤構築を達成し、新たな都市の発展軸を求める新市においては、是非とも恐れずに、新タイプの大学誘致プロジェクトに挑戦してみたいものである。

秋風が忍び寄る折柄、くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第6号

拝啓 立秋を過ぎたとはいえ、残暑の中いかがお過ごしですか。
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相原正明行政文化小園 メールマガジン第6号(H17.8.15)
中心市街地の活性化

中心市街地の活性化が言われて久しい。古くから商業、業務など様々な機能が集まり、生活や娯楽・交流の場となり、また、長い歴史の中で独自の文化や伝統を育むなど「顔」とも言うべき場所が、なぜ寂れてきたのか。
多くの都市で一般的に言われることは、近年のモータリゼーションへの対応の遅れ、商業を取り巻く環境の変化、中心部の人口の減少と高齢化などを背景に、中心市街地の衰退・空洞化という問題が深刻化している。
前号の「地産地消」の際にも紹介したように「衰退の一因として、職住分離が進んだ結果、互いに購買して助け合う要素が激減したことが上げられる。」ということもありそうだ。

その対策として「中心市街地における市街地の整備改善及び商業などの活性化の一体的推進に関する法律(平成10年法律第92号)」も制定され、官民あげて事業に取り組むこととされ、国の支援メニューとして、「街の吸引力を高めるのに役立つ事業」、「街で快適に過ごせる環境を整えるのに役立つ事業」、「街に来やすくするための事業」、「街に住む人を増やすための事業」などが用意されている。

しかし、成功の鍵は、ここでも「人(人財)」にあると思う。
平成16年2月「観光カリスマ百選」選定委員会(事務局は内閣府ほか)から、観光カリスマが発表されたが、その中に江刺市の綾野輝也氏(株式会社黒船代表取締役社長)の名があった。
「江刺のまちに数多く眠っていた蔵に着目し、長浜(滋賀県)の黒壁によるまちづくりの先進事例をうまく取り入れながら、蔵を守り活かすことによって、寂れていた江刺の中心市街地を活性化させることに貢献した。」というのが選定の理由である。

歯科医として久方ぶりに郷里江刺に戻った同氏は、郊外に出店した大型店に客を奪われ、若者の市外への流出による後継者不足から廃業に追い込まれる店舗が増加し、活気を失いつつあったまちを何とかしようと、仲間とともに立ち上がり、NHK大河ドラマの誘致運動を行ったほか、平成9年には11人のメンバーで(株)黒船を設立した。

江刺のまちに数多く眠る「蔵」。この地域の歴史的文化財である蔵を活かすことなしにまちの活性化はあり得ないと考えているうちに、NHK大河ドラマ「秀吉」の縁で滋賀県長浜市の(株)黒壁の存在を知った。
当時、長浜では第三セクター方式の(株)黒壁が、長浜黒壁銀行という明治時代の建物を利用したガラス館などの営業を通じて中心市街地を活性化し、長浜を年間100万人もの観光客が訪れるまちにしていた。

綾野さんらは、これにヒントを得、地域住民や商工会議所との合意形成に努めながら、平成10年4月には、市内で解体予定の蔵を譲り受けて、これを移転改修し、蔵を利用した第1号店として「黒壁ガラス館in江刺」をついにオープンさせた。
この時、(株)黒壁も綾野さんらの熱意に負けて協力することとし、テナントとして入居(ガラス工房・販売施設)したのである。

そして、オープンから何と1年で、閑古鳥の鳴いていた江刺の中心市街地に年間12万人を越える観光客を呼び込むことに成功した。

中心市街地と言っても規模も状況も様々である。
しかし、歴史文化等の観点からは、他にない個性・オリジナルポイントがあるのではないか。
それを見い出せる最小単位のエリアに限定しても良い。「なんなとかして活性化させたい」という熱い想いを抱く人材とともにそれを発見し、知恵と工夫のもと個性豊かな他にないものを形造り、対外的に情報発信してみてはどうか。
行政の支援などは自然についてこよう。
各地域の思い切った斬新な取り組みに期待したい。

暑さなお厳しき折、くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第5号

拝啓 盛夏の候いかがお過ごしですか。メルマガ第5号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第5号(H17.8.1)
地産地消(ちさんちしょう)

「地産地消」という言葉は大分浸透してきたように思われる。このパソコンの変換キーでもスムーズに出せるようになっている。
それにしても最近出た言葉には違いない。どういう意味なのであろうか。

「地産地消」とは、「地元生産ー地元消費」を略した言葉であり、「地元で生産されたものを地元で消費する」という意味で、特に農林水産業の分野で使われている。
まず、巧みな造語で新しさを演出し、耳目を引きつけている。

また、「地産地消」は、消費者の食に対する安全・安心志向の高まりを背景に、消費者と生産者の相互理解を深める取り組みとして期待されている。
よく直売所などで生産者や耕地の写真を貼り、生産方法を説明した資料を示したりして、親近感と安心感を与えているが、こうしたイメージであろう。

実は古くから、地産地消と同じような意味で「身土不二(しんどふじ)」という言葉があり、「身体と土とは一つであるとし、身近なところ(三里四方、四里四方)のものを食べ、生活するのが良い」という考え方である。仏教界では、「しんどふに」と読むとのこと。

以上のことは、当たり前のようにも思われるが、なぜ今話題にされるのであろうか。
日常、スーパーマーケットなどで食料品の買い物をすると、関西や九州のものを含み遠来の品物があふれている。市場流通の仕組みがそうなっている。岩手のような食料供給地では、首都圏などの大消費地に向けて大量に販売する必要があり、消費者側では全国各地から集まってくる、できるだけ良いもの、安いものを毎日手に入れる必要がある。
こうした流通の仕組みの中で、地元に居ながら地元で生産されているものではなく、遙か遠隔地で生産された食料をわざわざ口にすることにもなる。

実態は、このようなことであるが、近年食料に対する安全・安心への関心の高まりに伴い、地元で生産されたものを志向する消費者が多くなってきており、地産地消の声が高まる背景となっている。
具体的な取り組みとしては、毎月1回食材の日を設定して、家庭・小売り・外食・食品産業などの地元農林水産物の利用促進を行うとか、学校給食における地元産物の利用拡大などである。

ところで、地産地消を徹底させて、従来の市場流通をやめたり、大きく減らしたりできるだろうか。そのようなことをしようとしても、東北のような農業地帯では、マーケットがあっという間に飽和してしまうことから、不可能なことであろう。
そういうことではなく、市場流通のプラスアルファ的位置づけで、「地域資源を地域内で循環させ、物とお金をうまく回すこと、そのことで古里の産業力を高め、地域の自立を促すことが目的」(講演会での県担当者)と考えることが適切と思われる。

中心商店街の衰退に関しての話だが、金融機関のトップにある人が、「衰退の一因として、職住分離が進んだ結果、互いに購買して助け合う要素が激減したことが上げられる。」と述べていたことが印象深く記憶に残っている。地産地消はその裏返しに、新たな農家所得の向上策の要素も十分ある。現に、数億円規模の売り上げを誇る産直(産地直売所)では、一千万円近い売り上げの農家があると聞いた。

このたび、江刺市議会では、議員提案により、地産地消推進の条例制定を目指している。
こうしたことを更なる弾みとして、地域の活力を高めていければと思う。

暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛願います。

小園亭主 敬白

第4号

拝啓 梅雨の季節が続いておりますが、お変わりありませんか。メルマガ第4号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第4号(H17.7.15)
一村一地域づくり

「地域づくりとそれを支える人づくり」。これは、私が平成15年2月の江刺市長選挙を目指して活動した際の政策リーフレットにおいて用いた項目表現である。
その項においては、「各地域の資源や特性を再発見し、また、他の地域との交流や連携を積極的に進めながら、文化や地域産業の振興に結びつけます。地域づくりは人づくりの観点に立って、若者・女性・高齢者などの人材を発掘し、意欲的な取り組みを支援します。」と約束した。

当時大いに活用させて頂いた話題に、平成13年8月7日付け河北新聞の「登場この人」の記事がある。森のそば屋(葛巻町)のプロデューサー高家卓範(こうけ・たつのり)さん(53)の紹介である。
「岩手県葛巻町江刈川地区の20人足らずのお母さん方が、手打ちそばを始めたところ大変賑わっている。
この地区は、標高500mの山間高冷地で稲作に適さず、同町内でも所得が低く、遅れた地域とされていた。
しかし、蕎麦の栽培が盛んで、大正時代から回り続けている水車でひいた粉で作る手打ちそばは、おいしいと評判で、東京日本橋高島屋での「全国そば紀行」でも長蛇の列ができるほどであった。

半信半疑の地区民を説得し、改造した民家で平成4年にオープンしたところ、戸数50戸、人口200人の単なる通過点であった集落が、今では年間20万人も訪れる地域となり、年間一人70万円程(売り上げ2,800万円、会員賃金計1,200万円)の収入を得るまでになった。何よりも、お母さんたちが明るく元気になり、地域が生き生きとしてきた。」(高家卓範(53)さんはムラ起しの仕掛け人であり、町役場の課長でもある。)

各地域での座談会では、この話が一番共感を呼んだ気がする。具体的なサクセスストーリー(成功物語)であり、何よりも、山間部のしかも女性中心の話がが良い。
市長就任後は、地域づくり支援事業(補助)、地域づくり専門委員会の設置、同セミナーの開催、農家民宿立ち上げ円滑化のための構造改革特区取得などに力を入れてきた。地域住民による主体的な地域づくり拠点としての「地区センター構想推進」もその一環である。

中沢トコトン水車復活(米里)、江刺で初めての農家民宿群立ち上げ(田原ほか)、ミニ農村博物館機能を備えた産直茶臼館設置(稲瀬)など、地域起しは着実に広がりをみせている。
地域づくりは人づくりである。身の周りの資源を見直し、それを生かして何とか自分たちの地域を元気にしようという熱意ある人々の存在が不可欠である。
こうした「人財」を掘り起こし、大いに支援していきたい。

時節柄、一層のご自愛をお祈り申し上げます。

小園亭主 敬白

第3号

謹啓 炎暑の候となりましたが、いかがお過ごしですか。メルマガ第3号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第3号(H17.7.1)
知識集積都市

チシキシュウセキトシ。この舌をかむような言葉に出会ったのは、およそ2年前である。ところは、創刊号で紹介した東京駅八重洲口付近のブックセンター2階の行政コーナーである。
市長就任半年ぐらい(平成15年)のところで、都市の盛衰に関わる文献を求めていた。
都市といっても東京から江刺のような地方都市まで大小様々であるが、ここ百年ぐらいの歴史の中で、何か都市の成長と衰退の法則が見い出せないものか、なんらかの研究成果があるのではないかとの思いがあった。

山積みの本の中に、こちらに向けて光を放っているものがある。「都市の未来ー21世紀型都市の条件ー」という新しい本(H15.3.25発行)で、編著者「都市新基盤整備研究会 森地 茂・篠原 修」とあった。
情報化の進展により、重厚長大型産業が主導してきた工業化社会の都市とは異なった成長発展の仕方をする都市が現れた。米国のシリコンバレーなどのハイテク都市群で、共通点としては、知のセンターとしての大学や中核研究機関の存在があり、ここに研究者、技術者、起業家、企業等が集まり、自由で快適な仕事環境、生活環境の下に新しい産業を生み出し、集積させた。

さらに1990年代末からの第二の情報化の波は、経済社会全般にわたる知識化の波といえるもので、現象的にはインターネット・パソコン・携帯電話の急速な浸透によってもたらされ、市民のライフスタイルや企業のビジネススタイルを大きく変え、さらには都市のあり方を変えつつある。

こうした中で、大学や中核的研究所などが、インキュベーター(企業の発足を助ける施設等)やサテライトキャンパスを設け、さらには、新しいビル(東京丸の内地区の丸ビルなど)の中にビジネススクールやリエゾン(連絡)オフィスを設けることにより、ビルを知の総合集積拠点化するなどの動きが広まってきている。
一方、市民レベルでは、市民が個人として知識集積を進めるにつれ、コミュニティにおける新たな知の集積を通じた、まちの活力再生への挑戦をし始めた。

以上の概要を読むに至り、過去の経験法則(都市盛衰の)探求の目的からはやや逸れたが、未来に向かっての大いなるヒントを得た思いであった。
早速、「平成16年度施政方針」(平成16年3月)の中に、岩手大学との産学官連携推進と併せ、「未来型都市とも言える知識集積都市の創造」を掲げたのであった。

来年2月にスタートする県下第二の都市奥州市においては、みんなで一層強力に推進したいものである。

時節柄、一層のご健勝をお祈り申し上げます。

小園亭主 敬白

第2号

謹啓 梅雨の候となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。メルマガ第2号をお届け致します。

相原正明行政文化小園 メールマガジン第2号(H17.6.15)
国破れて文化あり

中国の唐代の詩人杜甫の「春望」はあまりにも有名である。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という出だしの句は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の平泉の項においても引用され、やがて「夏草や兵どもが夢の跡」という名句となって結実した。

「国破れて山河あり」であって、「国破れて文化あり」と言っているわけではない。しかし、私は、この一節を思い浮かべる度に、勝手に後者の方の意味を感じてしまう。
私の好きな中国史をみても上記の唐の時代は約300年で滅び、その後、五代、宋、元、明、清、中華民国、中華人民共和国へと変遷している。しかし、漢字文化は、「破れることなく」、連綿として続いている。

平成五年に北京の故宮博物院(明・清朝の紫禁城内廷の遺構)内で、明の時代の作といわれる扁額の一つに出会った。「仁徳大隆」と大きく墨書されているのを見た時、現在我々が用いているものと変わらないと思いながら、つくづく文字文化の威力と日中の文化の繋がりの深さを実感したものであった。

さて、ここに國學院大學日本文化研究所が平成15年3月に発行した「歌のちから」という本がある。これは、旧江刺郡(江刺市、北上市口内町・稲瀬町、水沢市羽田・黒石)内に伝わる民俗芸能・歌謡の十数年来の調査結果を現したものである。

それによると、「岩手県全体で1,064を数える民俗芸能の内、この地域では100ほどの民俗芸能を擁している。県民の30分の1以下の人口にもかかわらず、県全体の10分の1の民俗芸能を擁しているというだけでも、この地域の特異性がある。また、日本国内で伝承されている民俗歌謡のあらゆるジャンルがここに存在していたと言っても過言ではない。県レベルではともかく、旧郡単位でそのようなあり方をしている地域を、少なくとも報告書では知ることがない。」とある。

江刺では、神楽、剣舞、鹿踊り、田植え踊り、人形芝居など多くの郷土芸能が現に息づき、活発に行われている。大人から子供まで一体となって取り組み、まさに地域の活力となっている。
國學院大學の報告は、こうした常日頃の「盛んである」という実感に理論的、客観的な裏付けを与えてくれた。 我が意を得たりとばかりに、しばしば挨拶に引用させて頂いている。

江刺市は、来年2月に水沢市・前沢町・胆沢町・衣川村と合併し、県下第二の都市奥州市として歩み出す。
決して「国破れ」ではないが、「江刺という国がなくなる」と考えると似たような感傷気分にもなる。

しかし、類い希なる文化の力で一層の地域の発展を続けなければならないし、それは確実であると自負している。

時節柄、皆様の一層のご健勝をお祈り申し上げます。

小園亭主 敬白

第1号

相原正明行政文化小園 メールマガジン創刊号(H17.6.1)
国破れて文化あり

こちら相原正明行政文化小園(ホームページアドレス https://www.pon.waiwai-net.ne.jp/~ma230301 )です。 私は、亭主の相原正明(57)です。現在、岩手県江刺市の市長を勤めております。
本日、第1号のメルマガを発行致します。時間の都合で希望を確認しないまま差し上げることをお許し願いたいと思います(不都合な方あるいは検討を要する方は、恐れ入りますが、次のメールアドレスまでご連絡願います。)。
ma230301@pon.waiwai-net.ne.jp

まず、メルマガを始めた動機、理由についてお話ししたいと思います。
今年4月下旬に上京した際、東京駅八重洲口付近のブックセンターで、何気なく1冊の本を手にしました。「アサノ知事のメルマガ」という本です。宮城県知事の浅野史郎氏が、平成13年8月から毎週1回(火曜日)発行したメールマガジンを106回分(平成15年9月まで)まとめて表したものです。
限られた時間の中で、インターネット検索などで情報を集め、感性の赴くまま一気に書き上げたようです。書く内容としては、比較的まじめな硬い題材を選んでいるとのこと。小泉首相のメルマガに刺激を受けた様子でした。
私に何かピンとくるものがありました。首長として幅広い分野で見識を高め、考えや思いをわかりやすく発信する良い機会になると思いました。

さらに調べてゆくと、メルマガの発行は、ホームページとセットで、いわばそこを発信基地として行うことが良さそうだと気づきました。
早速ホームページビルダーソフトを買い求めて取りかかることになりましたが、私のコンピューター知識・技術ではいかんともし難く、加入プロバイダーのえさしわいわいネット(http://www.waiwai-net.ne.jp/)スタッフの全面応援を頂き、ようやく「こちら相原正明行政文化小園」を立ち上げました。

「行政文化小園」のことですが、私の平成11年4月作成のファイルに「岩手行政文化小園」というものがあります。岩手県農政部次長の職にあった頃のことです。在職中のみならず、ライフワークとして行政(私の場合は、地方行政が中心となります。)や文化について考え、情報発信していきたいと思ったからでした。
小園の亭主のつぶやきといったイメージです。
今回、はからずもその実現の機会がやってきたようです。

2週間に一度の締め切りに耐えうるのかどうか、未知の世界ですが、形張らずに楽しみながら創作してみたいと思います。
気長にごらん頂き、ご指摘や激励を賜れば幸いです。

小園亭主 敬白

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