2026年4月~2027年3月
2026(R8).5.31 ― 93歳の地元作家小野寺苓さん ― (第 157 号)
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2026年(令和8年)3月末に岩手日報紙に「軽妙で味わい深い言葉 小野寺苓さん(盛岡)詩文集出版」の記事が出て、その本「加賀野の春」を早速買い求め5月上旬には読み終えた。
実は、小野寺苓(れい)さんは、1998年(平成10年)に私が県教育委員会の教育次長職にあったとき、教育委員の一人であり、その年に大分県で開かれた国民文化祭に他の職員とともに出張同行したことがある知り合いでもある。
同本を読んでいるうちに、かつて小野寺苓さんから本を贈られたことを思い出し本棚を探したら「みちのく腑分け始末(2006年2月発行)」が出てきた。この年は私が3月に奥州市長に当選した年で、何か礼状を書いたくらいでほとんど読まずにしまい込んでしまったようだ。反省しながら、「加賀野の春」に続いて一気に読み終えた。
「加賀野の春」には多くの詩と随筆が収められているが、どの編にも鋭くきらりと光るものを感じた。私は、たいてい執筆者の「はじめに」と「あとがき」を読んでから中身に入るが、あとがきに先だった夫君を想うくだりがあり、妻の立場の作者の人となりも感ずることができた。「一度も争ったことのない夫を送り」の一節はずしりと来た。早速妻にも報告したことであった。「大病を何度もし、入退院を繰り返して病気のデパートのような夫と病院嫌いで丈夫だけが取柄の私との奇妙な組み合わせでしたが、夫も楽天的で長く寝込むこともなく、二人とも90歳を超えて生きてこられたのは幸せでした。いつもですと、私がものを書き終えるまで起きていて、最初の読者としていろいろ評してくれたのですが、今回はなんと言ってくれたでしょう。」は原文のままであるが、何と穏やかで普遍的な夫婦愛をありのまま著わした文であろうか。静かな感動を覚えた。
「みちのく腑分け始末」は、江戸時代天明年間(1781~89年)に罪人として腑分けされた豊吉の墓が、作者の住まう現在の一関市内にあることから関心を持ち始め、10年余かけて調べ、思索し書き表したものである。ほとんど資料がない中、ここまでの物語に仕上げる意志の力、創造力、創作のセンスなど驚嘆に値する。恋物語的な要素もあり、緑地の布に紅一つのような風情となっている。
小野寺苓さんを私なりに是非取材したいと思った。
2026(R8).4.30 ― 感性の赴くままたちまち仕上げる ― (第 156 号)
このころ、昼過ぎの民放番組「徹子の部屋」のゲストに歌手の山本リンダ(75歳)が登場した。リンダは15歳の頃モデルをしていたが、作曲家の遠藤実先生に紹介され、初めての訪問の際、いろいろ聞かれ上がってしまっていたが、中でも「ボーイフレンドはいるの?」の問いに詰まってしまった。とっさに「困ちゃったな」と言った。遠藤さんは、その言葉に印象を受け、その日家に帰るまでの車の中で詩と音楽を作り上げてしまった。
後日のレコーディングの日は、本命とされた別の曲も収録したが、予備として「こまっちゃうナ」を含む4曲があり、リンダがどれが良いか聞かれ、「こまっちゃうナ」がいいと言って、ほとんど練習もせずに身振りも入れて楽しくレコーディングした。その結果その曲をリリース(発売)することが決まった。リンダのデビューシングルであったが、結果は累計70万枚以上を売るヒット曲となった。
名作というものは得てして一瞬のアイデア・想いのほとばしりのままの作品が母体となるようだ。
海外ではあの有名なビートルズの曲イエスタディの作詞・作曲をしたポール・マッカートニーの「一晩でメロディ完成」の実話がある。ポールが夢の中でメロディを受け取り、目覚めた直後にピアノで一気に形にしたという。ただ、本人はメロディがあまりに自然で美しいため、自分がどこかで聞いた曲を無意識にコピーしたのではないかと疑ったという。彼は数週間にわたり、友人、ミュージシャン、プロデューサー、ビートルズのメンバーに聞いて確認した。しかし誰も「既存曲だ」と答えなかったため、遂に自分の曲と主張するに至ったという。歌詞の方は、約1年後にポルトガル旅行中に一気に仕上げた。
このような著名な作品になぞらえる事例は、私の経験としてあるはずもないが、趣味の俳句を作る場面で似たような感覚に浸ることがある。40歳で俳句を始め、盛岡市内の著名な俳人(元県幹部職員)が主宰するある句会に参加した。毎月1回の句会には5句ほど持参しなければならない。初心者としては厳しいノルマでもある。2~3句は間に合わせ、数合わせとなる。句会の結果は、その「ついで提出」の次の句が先生の目に留まり評価された。何も細工せず、見て感じたまま一気にペン書きした句であった。
セスナ機もトンボも同じ方へ飛び



