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2025年4月~2026年3月

2025年4月~2026年3月

2025(R7).6.30   ― カエサル(シーザー)と信長の不思議な共通点 ― (第 146 号)

カエサル

信長

この6月に塩野七生著「ローマ人の物語」の「ユリウス・カエサル ルビコン以後」編(234頁)7回目読了を果たした。この編だけ読む回数が特に多い。

かの世界史の巨人カエサル(シーザー)が紀元前44年3月15日に元老院議場付近でブルータスほかに暗殺された。満55歳であった。カエサルの独走と王制への移行を阻止し、元老院主導の共和政復帰を目指したものであった。実行部隊は14人の元老院議員で隠し持った短剣(本来帯同は許されていなかった)で、気が狂ったように刺しまくり、23箇所の傷を与えたのである(胸に受けた2刃目だけが致命傷)。カエサルは同議員全員から積極的にカエサルを守るとの誓約書を取った直後に護衛隊を解散していたので、この日もまったく無防備であった。

ローマが生んだ唯一の創造的天才と評されるカエサル、地中海全域を掌握し、迅速に数々の改革を断行、強大な権力を手中にして事実上帝政を現実のものとした直後のことであった。なお、この14人は全員が2年以内にカエサルの後継者らによって命を奪われている。

一方、日本の織田信長である。1582年(天正10年)6月21日、京都本能寺において明智光秀の謀反によって寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、自害して果てた。享年49歳。信長の嫡男で京都妙覚寺に宿泊していた信忠も襲われて自害した。信長と信忠の死によって織田政権は瓦解するが、光秀もまた6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れて命を落とした。

朝倉・浅井氏さらには武田氏を滅亡させ、天下をほぼ手中にしつつあった信長が、何故突然命を絶たれたのか。中国地方で毛利攻めに当たっていた秀吉の要請を受け、そこに赴く途中ともいわれるが、何故無防備な状態で本能寺に滞在したのか。もっとも家臣である光秀以外にこのようなことをなしうる軍勢は当時当地には存在しなかった。

カエサルも信長もまともに戦えば何者にも負けなかった、絶対的自負があった。しかし個人としての身の安全に関しては、ほれぼれするほど大らかで、人を信ずる、別の側面では人は豹変すること、人は意外な力を発揮することを過小評価していた気がする。東西の歴史の巨人の不思議な共通点である。英雄らしい。

2025(R7).5.31   ― チューリップの秘密 ― (第 145 号)

我が家の庭

今年も庭に美しくチューリップが咲いた。長い冬が次第に後退し、春の息吹が庭の隅々に表れ始めるとき、華やかに勢いよく広告塔になるのがチューリップである。色もグループごとにいわぱ思い思いの装いで、光の3原則の赤青黄色を中心に少しずつ混合色が散らばり、色彩展示会のようでもある。

あまりきちんと見ず、俳句や詩的感覚で眺めていた私であるが、朝になると花が開き、夕になるとつぼんでいくということに改めて気付き、何故だろうと考えるに至った。太陽光の強弱に関係するのだろうが、それにしても何千年、何万年と生き抜いてきただけの理由があるのであろうと推測してみたが、不思議の壁を突破できず、とうとうAIならぬネット検索で勉強することにした。

調べてみて感嘆の一言であった。なんという自然の知恵であり、力であろうか。「チューリップの花が日の経過とともに大きくなるのは、規則正しく、朝に開き夕方に閉じる開閉運動をするのが原因です。花びらには、メシベの方を向いている内側の面と、花が閉じたときに花を包み込むように見える外側の面があります。

朝に気温が高くなると、花びらの内側の面が外側の面よりよく伸びます。その結果、花びらは外側へ反り返ります。これが、「開花」という現象です。夕方に気温が下がると、気温が上がったときとは逆に、花びらの外側の面が内側の面よりよく伸びます。すると、反り返っていた花びらの反りがなくなります。その結果、花は閉じます。これが、「閉花」という現象です。

朝に、花びらの内側がよく伸びて、外に反り返り、夕方に、花びらの外側がよく伸びて、花が閉じるのですから、毎日、花は少しずつ大きくなります。チューリップの花は、約10日間、開閉運動を繰り返したあとに萎(しお)れますから、初めて開いた日の花より、約2倍の大きさになることもあるのです。」

この開閉の仕組みを解き明かしたのはイギリスの植物学者のウッドとのことである。1953年の実験なのでそんなに古い話でもない。何故そのような仕組みを選んだのか、生き残るうえでどう役立ったのかなどの説明までは見いだせなかった。

ぼんやりその美しさだけ見ていたが、今では敬意を以って見つめている。「とんでもない ことを企み チューリップ」 保坂 伸秋 (俳句歳時記から)

2025(R7).4.30   ― 5度目の「項羽と劉邦」 ― (第 144 号)

司馬遷

この月に司馬遼太郎作の「項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)」を読み終えた。5回目である。1回目が2015(平成25年)5月の10年前なので2年に1回同じ本を読んでいることになる。書斎でホットくつろいだ時間に何かノンフィクション的小説でしかも歴史の教訓として示唆に富む、そうしたことを作家が語りかけてくる本が無性に読みたくなり、周りには歴史ものがあちこちに積まれている。しかし種切れになってきたとき、何度目であってもどうしても読みたくなるのがこの本と「ローマ人の物語」(塩野七生著)である。他はない。

かつて心象スケッチ「語りかける作家(第84号)」(2013(平成25).8.8)において、「お二人の作家は私たちに語りかけ、問い掛け、考えさせてくれる。作家本人の深い洞察力を通して、歴史の真実と重みそしてそこから導き出される教訓を示してくれる。このような先導者こそ人を育て、世の向かうべき方向を誤りなく示してくれると感ずる。」と述べた。読むたびにその感を強くする。

項羽は、基本的に並外れた体力・気力で周囲を圧倒し、部下兵卒を熱い球にして嵐のように駆け抜け、向かうところ敵なしの武将である。また、名門の出らしく礼儀正しいところがあり、家族・親族・一族を大切にし、敬い、子供っぽい、清らかな感情、何とも言えない優しさを持つ。ただし、敵や敵地の人民を憎めば人の成しがたいような暴虐を働き、何万人も平気で生き埋めにする。

一方の劉邦は、家柄も人脈も教育もない、あるのは立派な顔ひげのみである。家の農業も継がずに町のごろつきのように出没する。ただ、いつの間にか勝手に寄ってくる子分のような者が多くおり、座を作ると劉邦が中心となり、劉邦がいなくなると皆つまらなくなって去る。平気で人の上に立てる。大混乱期に街を守るため中心に祭り上げられると、自分では何もできないが寄ってくる人材を使い、その献言に従い、いつの間にか天下を手中にしてしまった。

人の世で最終的に成功を収めるのは、個人に備わった能力が抜きんでている、一人で何でもできるといったことに起因するよりは、むしろ自己の能力に限りがあることを知り、他の多くの人々の力を結集して乗り切ることができる資質であり、やはり最後は運のようだ。

この本は司馬遼太郎を通じて中国古代というよりは、人間の普遍的なありようと結末を示してくれている。2千年も前にこまめに取材してこの物語の原典ををまとめた司馬遷(SC145~BC86)への敬意もさらに高まった。

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