故吉田重雄氏13回忌法要時に思い出を語る(2023(R5).10.13。盛岡市盛岡グランドホテル)
1 今日のご法事に妻と二人でお招き頂きましたが、そもそも妻美智子と出会い結婚することができたのは、全て吉田重雄さんのお陰です。 県庁農政企画課の農地調整係で係長と部下の関係でした。
当時28歳になってまだ身が固まらない私に、ある宴席が終わる頃、「そろそろの歳と思うが決まった人はいないのか」と心配してくれたのです。その時「あの人は?」と言ってしまったのです。重雄さんは珍しいことに八幡宮のお祭りの際、親戚と職場関係者を一緒に集めて自宅で宴会を催していました。その時話まではしなかったものの目にしたのが美智子でした。その人です。吉田さんは、二次会に二人で出向きながら、「本当か」と確かめたものでした。
それからはあれよあれよという間に話が進み、翌年の4月に結婚まで進むことができました。後で妻からも聞きましたが、まだ21歳で早いと思ったが信頼する重雄さんの話とあって、家族ぐるみでその流れになってしまったとのことでした。まさに恩人であり、改めて御礼申し上げます。
2 吉田重雄さんは、全く役人の取り澄ましたようなところがなく、人情家で人の面倒見がよく、また正義感も強く、上の人にも遠慮なく物が言える人でした。人気・人望があり、上からは一目置かれ、下からは敬愛されるといった風でした。
盛岡農林事務所の係長時代、各農林事務所の農地担当者がまるで人事で捨て置かれ、忘れ去られたようにいつまでも平に据え置かれていることに黙っていられず、ときの農政部長に名簿を示して談判したところ、間もなく一斉に主任昇格となった武勇伝もありました。
3 人を愛し、酒を愛し、宴席での「岸壁の母」は天下一品で、ピッタリの感がありました。人生75年説を唱え、3分の2に達した50歳で役人を辞め、第二の人生に入ったのも太っ腹の吉田さんを示すものでした。その後は調停委員などで世に貢献し、また、若い頃に県の仕事で南米に送り出した人々を訪問して激励し、その子弟の面倒を何かと見るなど吉田さんらしい活躍をしておられました。
4 吉田さんの言動・存在は、周りの人々や後輩に人間如何に生きるべきかを暖かく身をもって示したことと思います。「人生意気に感ず」を座右の銘にしておられました。人を信じ、互いに助け合って良い世の中を作っていこうというお考えであった、またそのように実践したと思います。
改めて敬意と感謝を申し上げます。