別館
陸軍主要兵器写真館

正式名称/撮影年(*参考程度)/その他

*写真は全て大日本帝国陸軍省許可写真


火砲(歩兵砲/速射砲/迫撃砲/野砲/山砲/野戦重砲/重砲/高射砲及び防空兵器)

高射砲及び防空兵器


防空自動火器(高射機関銃、高射機関砲、高射機銃(海軍)、その他)


左)十一年式軽機関銃三脚架を用いた高射姿勢   右)九二式重機関銃の高射姿勢(支那事変)
日本軍は九九式小銃に高射目盛りを付けるなど、あらゆる火器を以って敵機に応戦するよう教範に記されていた。

  
左)「高射機関銃」*三年式重機関銃に専用の高射機銃架を装備した初の対空自動火器
右)ホ式十三粍高射機関砲 *準正式兵器で少数が配備。1929年輸入。1934年に制定。

 
九八式高射機関砲
大東亜戦争における日本陸軍の主力対空自動火器。口径20㎜、発射速度最大300発/分・通常120発/分。
これ以外に、実用化できた高射機関砲が無い事が、日本陸軍の低空での防空にとって最大の弱点となった。


「ラ式三十七粍高射機関砲」(ラインメタル・ホルジヒ3.7㎝Flak18型)

「ボ式四十粍高射機関砲」(ボフォース40㎜機関砲)
*両写真は捕獲兵器と思われる
第2次世界大戦中期以降は、地上攻撃機の防御力も増大し、7.7㎜~20㎜級の機関銃砲では効果が薄れてきた。
各国では37㎜以上の高射機関砲を開発して対応したが、日本陸軍では、発条(ばね)を加工する技術の違いから、
捕獲した同級機関砲のコピーも困難であり、最後まで20㎜級の高射機関砲に頼るしかなかった。
試作兵器には一式三十七粍高射機関砲、五式四十粍高射機関砲、ボ式四十粍高射機関砲(コピー)などがあった。

 
左)軍艦「出雲」20㎝主砲上の九三式/ホ式一三粍機銃(海軍)   右)九六式二十五粍三連装高射機銃(海軍)
海軍は、最初、英国のルイス、ビッカースの機関銃砲を近接防空火器として各艦艇に装備したが、次第にフランスの
ホチキス社系列のものに更新されていった。なお、日本海軍では大正以降、自動火器をすべて「機銃」と呼んだ。


高射砲(陸軍の高射砲、海軍の高角砲)


十一年式高射砲(1922年)
口径75㎜、有効射高2000m位。砲身は三八式野砲と同じである。

 
左)大東亜戦争末期、南方戦線での八八式高射砲部隊 右)開戦直前、量産ラインの八八式野戦高射砲

八八式野戦高射砲を牽引する九六式高射砲牽引車
(紀元二千六百年記念観兵式)

「八八式高射砲」は、昭和3年(1927年・紀元2588年)制定の高射砲である。
十一年式の性能を大幅に向上させ、新型軍用機への対応を考慮した当時としては優秀な兵器だった。
だが、後継の高射砲が開発されず、ついには大東亜戦争をもこの高射砲が主力となって戦った。
さすがに、B17やB29クラスの超重爆撃機には砲弾が届かない場合もあり、効果は薄かった。
しかし、熟練した高射砲兵が操る八八式高射砲は、外地で、本土で迫りくる連合軍機を迎えて相当の活躍を見せた。
終戦間際、日本の全土で、実質的な戦いを行っていたのは、特攻部隊と八八式を主力とする高射部隊のみであった。
口径75㎜、有効射高7000m(4000mとも) 徹甲弾を使用した水平射撃で、米軍のM4戦車を撃破できた。


 
左)九九式八糎高射砲(ビルマ戦線) 右)クルップ?45口径88㎜高射砲(中華民国軍)
支那事変で押収した45口径88㎜高射砲の優秀性と量産性から、国産化を図ったのが九九式高射砲である。
ナチス・ドイツ軍の有名な88㎜Flak18/36型系列は56口径なので、本砲とは別物である。
砲身は短いが、初速はほとんど同等であり、砲身が短い分、操作や輸送で便利だったと思われる。
主に陣地据え付けの陣地高射砲として使用した。口径88㎜ 最大射高10,000m


押収3.7吋(94㎜)高射砲(英) ビルマ戦線
大東亜戦争で捕獲した高射砲。精度は悪かったが英軍相手に火をふいた。

ボ式七十五粍高射砲(輸入・捕獲 スウェーデン製)
支那事変で捕獲した優秀な75㎜高射砲。これに魅かれて国産化を図ったが、
技術的にハイレベルだったため、量産化は困難を極めた。
国産の「四式高射砲」としての生産数は終戦までに60門程であった。


十四年式十糎高射砲(1925年)
大口径・長射程の高射砲として開発された。装填が面倒などの欠点はあったが、
昭和18年に三式十二糎高射砲が完成するまで、唯一の重高射砲だった。
口径105㎜ 最大射高10500m*一部は九四式装甲列車に装備された。


海軍 三年式八糎高角砲
海軍は高射砲を「高角砲」と呼んだ。第1次世界大戦後、殆どの艦艇に装備された。
第2次世界大戦では旧式化していたが、陸上施設防衛などに使用。実口径76.2㎜


補助防空兵器(光学機材、高射算定機、聴音機、照空燈、電波警戒機(電波探信儀)、阻塞気球)


九三式二米測高機
光学機材は様々あるので、代表として取り上げた。
この分野では日本製品が断然優秀であった。
測高機距離400m~20,000m 総重量419kg


九七式高射算定機
高射算定機とは、光学機材やレーダー、聴音機などで得られたデータを入力し、
砲側に正確な射撃目標を指示する装置である。
現在の射撃管制用コンピューターの元祖である。
九七式はメカニカル式としては優秀な機材であり、開発者が戦争中に実名で表彰されている。
(その際、惜しげもなく、本機材も実名で公表された)
一応、第2次世界大戦中に使用された、連合軍爆撃機には全て対応できる性能を持っていた。



上)海軍に献納された九四式一号高射観測車
下)大東亜戦争での九四式一号高射観測車(フォード乗用車の後ろで九六式に牽引されている)
野戦高射砲用の観測機材を搭載したトレーラーで、上部に九二式重機関銃を装備する。
牽引は下写真のように九六式高射砲牽引車で行うが、場合によっては他の自動貨車でも可能である。




ソーテーアルレ社ペラン式蜂の巣型対空聴音機 (仏・輸入)
 
米国製半球型反射鏡聴音機(中央)と小型の4喇叭式聴音機(正体不明)
いずれも、大正時代に輸入され、その後の国産聴音機開発の参考となった。

 
左)九〇式空中聴音機(小)
右)九〇式空中聴音機(大)
国産の空中聴音機で、小型は終戦まで第一線で使用された。
大型の聴音距離は約9,000mであった。



九五大式空中聴音機
情報の電気伝達式や自動修正装置を採用し、精度が格段に向上した



スペリー式反射照空燈とスペリー・デュプレックス照空燈車


シ式(ジーメンス)照空燈と国産照空燈車(1933年)


九三式百五十糎照空燈と照空燈車
照空燈(サーチライト)は敵機の予想侵入地点に布陣し、聴音機と協力。
ライトの光芒で敵機を補足し、高射砲や夜間戦闘機の攻撃に協力する。
照空燈有効距離8,000m


右)陸軍 電波警戒機「乙」の操作 左)固定式レーダーの参考図例



上)米軍から捕獲した野戦用レーダーの図例
下)海軍 4号2型電波探信儀の練習状況

レーダー(電探)は第2次世界大戦の帰趨を決した兵器と言って過言では無い。
1940年のバトル・オブ・ブリテンでドイツ空軍を見事撃退したのもレーダーなら、
1942年、ソロモン諸島の海戦で、世界最強の日本海軍水雷戦隊を無力化したのもレーダーだった。
日本は八木アンテナなど基礎研究こそ遅れてはいなかったが、レーダー自体に気づくのが遅く、後手後手に回った。
(特に海軍は遅かった。昭和16年末の「海洋少年」という雑誌に、レーダー装備の米国戦艦の写真が写っているが、
おそらく、殆どの日本海軍軍人は、そのスノコ状アンテナが何者かわかっていなかっただろう。)
陸軍は早くから電波利用の監視装置を研究していたが、工業力が劣っており、列国並みのレーダーは量産できなかった。
なお、陸軍では警戒・捜索用レーダーを「電波警戒機」、射撃管制用を「電波標定機」と呼称したが、海軍は両方を「電波探信儀」と言った。




阻塞気球(写真は観測用の九一式繋留気球である)
阻塞気球は敵航空機の進入予想地点に複数の気球を係留して、侵入を阻止する兵器である。
第一次世界大戦では、航空機の速度・飛行高度も低く有効だったが、昼間は機銃で破壊された。
夜間の都市防空などで使用されたが、有効高度が1500m程度であり、相手がB29では役に立たなかった。


白兵/携行火兵
火砲(歩兵砲/速射砲/迫撃砲/野砲/山砲/野戦重砲/重砲/高射砲類)
車輌(戦車/装甲車/装甲自動車/牽引車/乗用車/自動貨車/特殊車輌/鉄道兵器
軍用機(戦闘機/爆撃機/偵察機/襲撃機/練習機/輸送機/グライダー/オートジャイロ)


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