別館
陸軍主要兵器写真館


*写真は全て大日本帝国陸軍省許可写真



紀元二千六百年記念観兵式のパレード(1940年)

車輌(戦車/装甲車/装甲自動車/牽引車/乗用車/自動貨車/特殊車輌/鉄道兵器


戦車1(輸入戦車)


戦車の元祖「菱形重戦車MkⅣ(雌)」(4号重戦車・英)
日本軍が初めて輸入した戦車。戦時中は靖国神社に展示された。


中型戦車「A型ホイペット」(英)
少数が輸入された。故障が頻発したが、戦車を学んだ意義は大きい。


ルノーFT17/18(甲型軽戦車・仏)
一定数が輸入され初期の戦車隊を支えた。1928年御大礼記念の写真


ビ式Mk-C型戦車(英)
八九式戦車の参考となった


ルノーNC27(乙型軽戦車・仏)
八九式の保険的意味合いで輸入。性能で劣った。写真は八九式とともに上海事変の時。


サンシャモンM21装軌装輪戦車(仏)
特殊な機構を研究するために輸入。あまり参考にはならなかった。


ガーデンロイド機銃車(カ式機銃車・英)
海軍で輸入したガーデンロイド豆戦車。実戦に使用した。


ビッカースM1931「ビ式六頓戦車」(英)
参考に輸入。キャタピラ、構造などで見るべきものがあったと言われる。


戦車2(国産戦車) 戦車・装甲車・水陸両用戦車・無線操縦戦車


八九式軽戦車(満州にて)

八九式中戦車甲型「イ號」

八九式中戦車乙型「チロ
純国産の八九式戦車は最初軽戦車だったが、改良の結果重量が増加。
1935年から中戦車に区分された。ガソリンエンジンを甲型、ディーゼルエンジンを乙と称する。
自重12.2トン、最大速度25km/h、武装18口径57㎜九〇式戦車砲1、機銃2~3(乙型)


九二式重装甲車(初期型)

九二式重装甲車(後期型)支那事変にて
「スミダTB92式戦車」「ロ号」とも呼称される。騎兵用の軽戦車。
戦車は歩兵のものなので装甲車と呼んだ。
自重3.23トン、最大速度45km/h、武装九二式十三粍機関砲1、機銃1


九四式軽装甲車「TK」初期型・支那事変にて

九四式軽装甲車「TK」後期型・支那事変にて
弾薬輸送を任務とする車両だったが、実質戦車として活躍した。
自重2.7トン、最大速度40km/h、武装 機銃1


九五式軽戦車「ハ号」 フィリピン攻略戦

九五式軽戦車アンテナ装備 満州関東軍

九五式軽戦車「北満型」 転輪下部を見よ

九五式軽軽戦車は最も多く生産された日本戦車の代表格。
ディーゼルエンジンを装備。軽快な運動性と信頼性に優れたが、
武装装甲共に第2次世界大戦では貧弱であり、苦戦を強いられた。
自重6.7トン、最大速度45km/h、
武装37口径九四/九八式三十七粍戦車砲1、機銃2



九五式重戦車(1939年靖国神社にて)
国産の多砲塔重戦車。コストがかかるので4両のみ生産
自重26トン 最大速度22㎞/h、武装九四式七糎戦車砲1、九四式三十七粍戦車砲1、機銃2



九七式中戦車「チハ」(シンガポール入城)

九七式中戦車「チハ」(後期型)
千葉戦車学校所属。エンジンカバーに注目!

日本軍の主力中戦車。速度・武装共に開発時は標準的だったが、
武装は歩兵支援用に57㎜短加農を装備したため、戦車戦では不利だった。
その後、武装の強化、装甲の増加など根本的な改良はされず、
大東亜戦争末期には各地で奮戦むなしく敵戦車に撃破された。
自重15.4トン、最大速度38㎞/h 武装18口径57㎜九七式戦車砲1、機銃3



九七式指揮戦車「シキ」
中央の「け」101号車。砲塔の主砲を廃止。車体に37㎜砲を装備した。
空いたスペースを無線機など指揮スペースに充当。少数が生産された。


九七式軽装甲車「テケ」
九四式軽装甲車の後継で、快速を生かし活躍した。しかし、大戦末期には
敵が強力な戦車を投入したことで、軽装甲車そのもの存在価値が疑われた。
自重4.25トン、最大速度65km/h、武装 機銃1か九四式三十七粍戦車砲1


「M三戦車」(M3スチュアート軽戦車・米)
南方戦線で捕獲した車両を日本軍が再使用した。
M3は日本の九七式中戦車改が完成するまでは、
太平洋で最強の戦闘力を有しており、有効活用を考えたもの。
ビルマの戦車第十四聯隊ではこのM三で英軍と戦った。



一式四十七粍戦車砲装備九七式中戦車改「新砲塔チハ」
九七式中戦車の主砲が、敵戦車に通用しないのは明白であり、
対戦車戦闘に即した戦車として新型主砲を装備した新型砲塔をチハに載せた。
フィリピンではM3軽戦車を撃破できると歓迎された。
しかし、量産が軌道に乗る段階では、すでに米軍はM3、M4中戦車を開発。
一式四十七粍戦車砲でもってしても、正面からの対決は困難を極めた。
本車は、後の一式中戦車「チヘ」と並び、日本軍最良の戦車だったが、
戦車の進歩は早く、日本は時代の流れに取り残されていたのである。

水陸両用戦車の系譜
 
左)AMP水陸両用戦車(推定) 右)SRⅡ水陸両用戦車(推定) 1939年多摩川での演習


海軍 特二式内火艇「カミ」車
特二式内火艇と書いて「とくにしきうちびてい」とルビをふり、
「とくにしきないかてい」と読む。
九五式軽戦車を基礎にした水陸両用戦車で実戦に投入された。


無線操縦戦車「長山号」
1930年、博覧会で無線誘導に成功した。ラジコンで武装の操作も出来た。
右は開発者の長山大尉。原型はフォードソントラクターである。


装甲自動車


左)オースチン装甲自動車(英)
シベリア出兵、斉南事件などに出動した。


スミダ「簡易装甲自動車」(ARM装甲自動車)1928年
国産の量産型装甲自動車。輸出カタログにも掲載された。


手前・ルノー改造装甲自動車 奥・正体不明装甲自動車
昭和3年岩手県陸軍特別大演習での光景。騎兵隊に配属された。


陸軍 ちよだQSW型愛国2号装甲自動車
陸軍の量産型装甲自動車、熱河作戦で大活躍した。


海軍 ビッカース・クロスレイM25装甲自動車(英)
上海の海軍陸戦隊に装備。陸軍も小数を輸入した。


海軍 ちよだ九〇式装甲自動車
銃眼が七カ所もあり、陸軍のQSWより武装は強力。しかし、足回りは都市向けであろう。


海軍 九三式装甲自動車 (外国製?)
正式名称は判明したが、中身がいまいちわからない装甲自動車。
第二次上海事変や大東亜戦争の上海租界接収に出動した。


牽引車


ホルト五トン牽引車(三八式加農砲を牽引)


九二式五頓牽引車「イケ」
本来は九二式/十四年式加農砲の牽引用。なぜか三八式十五榴を牽引


九二式八頓牽引車
八九式十五糎加農砲の牽引用に開発。写真はノモンハンで捕獲したソ連車両を引くところ。


九四式四頓牽引車「ヨケ」
これは本来の機動九〇式野砲を牽引している。


九五式十三噸牽引車「ホフ」
日本最大の牽引車。バターン作戦で使用した重砲を牽引している様子。


九八式六頓牽引車「ロケ」
ビルマにて本来の九六式十五糎榴弾砲を牽引している。


乗用車(含む自動二輪車)自動貨車/特殊車輌/鉄道兵器



白兵/携行火兵
火砲(歩兵砲/速射砲/迫撃砲/野砲/山砲/野戦重砲/重砲/高射砲および防空兵器
車輌(戦車/装甲車/装甲自動車/牽引車/乗用車/自動貨車/特殊車輌/鉄道兵器
軍用機(戦闘機/爆撃機/偵察機/襲撃機/練習機/輸送機/グライダー/オートジャイロ)


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