別館
陸軍主要兵器写真館

正式名称/撮影年(*参考程度)/その他

*写真は全て大日本帝国陸軍省許可写真


火砲(歩兵砲/速射砲/迫撃砲/野砲/山砲/野戦重砲/重砲/高射砲および防空兵器

歩兵砲
歩兵とともに前進し、歩兵の障害を排除する


十一年式平射歩兵砲(1922年)
口径37mm 最大射程5000m 600mで15㎜鋼鈑を貫通


十一年式曲射歩兵砲(1922年)
口径70mm 最大射程1500m


九二式歩兵砲(平射曲射両用砲 1932年)
口径70mm 最大射程2800m


九七式曲射歩兵砲(1937年)
口径81mm 最大射程2850m 所謂迫撃砲である


三一式歩兵山砲(1901年)
日露戦争の旧式山砲を歩兵砲に転用。口径75mm、最大射程4600m

その他の歩兵砲
九四式速射砲(後述)、九七式自動砲(後述)、四一式歩兵山砲(四一式山砲・後述)


速射砲
対戦車砲のことを日本軍では速射砲と言った。
敵機甲部隊に対抗する兵器。歩兵に従属するほか独立して運用。


九四式速射砲(1934年)
射程1000mで20㎜装甲を貫通


ラ式三十七粍対戦車砲(1929年~ドイツ製)
支那事変で押収したドイツ製ラインメタル3.7㎝PAK35対戦車砲
500mで36㎜装甲を貫通。自動車牽引で大東亜戦争でも使用。


九七式自動砲(1937年)
口径20mm 500mで30mm装甲を貫通する大型の対戦車ライフル


迫撃砲
弾道が弧を描いているため遮蔽物の影の敵に有効な兵器。
命中率は低いが口径の割には軽量である。歩兵に従属するほか独立して運用。
早いサイクルで連射が可能なため化学兵器(毒瓦斯)等の投射にも利用された。


三式迫撃砲(1943年)海軍
海軍が陸軍の九七式曲射歩兵砲を導入したもの。細部が異なる


九四式迫撃砲(1934年)
口径90mm 主に独立迫撃砲大隊で使用した


十五糎鋼製臼砲
臼砲(きゅうほう)は迫撃砲と同じ特性を持つが、こちらの方が歴史が古い。
これは、日露戦争で使用した臼砲を支那事変で上海方面の敵陣地へ攻撃に使用。


木製迫撃砲(1904年)
日本軍が日露戦争で使用した木製の急造迫撃砲。迫撃砲の元祖と言われる。


野砲
砲兵の基本装備。敵陣地の撃滅や対砲兵戦に活躍する。
野砲は主に師団砲兵で使用する。特性は加農砲に近い。
第2次世界大戦では野砲に加え10cm級榴弾砲も加わった。


三八式野砲(1904年)
ドイツのクルップ式野砲を国産改良した野砲
口径75mm 最大射程8300m


改造三八式野砲
三八式野砲の仰角を増大し射程を10700mまで延伸した。
満州事変から終戦まで活躍。


四一式騎砲(1907年)
三八式野砲の亜種で、騎兵部隊で使用したもの。


九〇式野砲(1930年)
フランスのシュナイダー野砲を参考に開発。重量が重く日本の馬で牽引するのは困難だった。
最大射程14000m 対戦車火器としては1000mで75(65)mm、450mで102mm貫通可能。


機動九〇式野砲
九〇式野砲を牽引車や自動貨車で高速機動できるように改良したもの。
機甲部隊の砲兵などで使用した。


九五式野砲(1935年)
九〇式野砲が重すぎたため、日本の馬で牽引できる野砲として開発。
技術的には年代相応だが、性能は三八式野砲と大差がないものになってしまう。
インフラに加え自動車はもとより馬の体格すら欧米に劣っていた日本軍の弱点を
この火砲は端的に示している。


九一式十糎榴弾砲(1931年)
師団砲兵用の榴弾砲。性能は第2次世界大戦のごく平均レベルである。
最大射程10800m これを機動化した機動九一式十糎榴弾砲も生産された。


山砲
山岳部隊で使用する軽量分解可能な火砲。日本軍では乙編成師団の砲兵に装備した。


四一式山砲(1907年)
ドイツ式の日本軍の標準的な山砲。口径75mm最大射程6300m
満州事変などで城壁に対する有効な火砲として注目を集め、
砲兵から歩兵の手に渡り、四一式歩兵山砲となった。
歩兵部隊では貴重な重火器として対戦車戦闘などにも使用した。


九四式山砲(1934年)
口径75mm 四一式の後継。軽量な上、最大射程も8300mまで伸びた。
日本の軍馬でも容易に運搬が可能であり、現状にマッチした優れた火砲だった。


野戦重砲
野砲ではどうにもならない目標を相手にする機動可能な重砲。
日本軍では10㎝加農砲、15cm榴弾砲を使用した。「軍」レベルの砲兵で使用。
しかし、米軍は10cm榴弾砲を師団砲兵に配し、師団レベルで15cm榴弾砲を使用。
数量、砲弾数共に日本軍を圧倒したため、苦戦を強いられた。
ただし、場所を得た場合(緒戦のシンガポール、バターン。末期の沖縄など)は有効な兵器だった。


三八式十二糎榴弾砲(1905年)
最大射程5650m 日露戦争のクルップ式12㎝榴弾砲の国産改良版
大東亜戦争時には完全に旧式化した。若き日の山本七平氏が率いたのがこれ


三八式十五糎榴弾砲(1905年)
同じくクルップ式の砲であるが、大口径の割に軽量なため支那事変でも活躍。
後に分解して馬で運べるように改良された。写真は支那事変での様子。射程5900m


四年式十五糎榴弾砲(1915年)
フランスの15㎝砲を参考に開発。砲身と砲架を分解して機動する。
構造が複雑で射程も中途半端なため改良が重ねられたが旧式化した。
馬で動かせる最大級の大砲だった。最大射程7700m(初期)~9000m(改良型)


九六式十五糎榴弾砲(1936年)
大変優れた機能を誇る第2次世界大戦の日本軍最良の兵器の一つ。
いかんせん、射程が不足気味だが、他は列国に劣るものではなかった。
アメリカ軍も「射界(砲口が動く範囲)が広く、仰角65度で射撃できる」と驚いた。
馬ではなく「九八式六頓牽引車」で牽引する。最大射程11900m



三八式十糎加農砲(1905年)
最大射程10800m。馬で引くには重く、早くから機械化された。(ホルト牽引車で機動)
しかし、第2次世界大戦では決定的に旧式化しており、要塞砲などに固定配備された


十四年式十糎加農砲(1925年)
最大射程14000m シュナイダー式の加農砲。一応の成功作だが、射程が不足しており
仮想的であるソ連の改良型107㎜加農に劣った。加農砲は対砲兵戦の主力であり、
射程が足りないということは、すなわち敵に圧倒されるということを示している。


九二式十糎加農砲(1932年)
日本軍最良の加農砲。性能的には列国に比肩するが、ソ連はすでに122㎜加農を開発。
日本軍は射程と威力面で劣るため、ノモンハン事変では苦戦を強いられた。
大東亜戦争では各地で活躍したが、ガダルカナル島での活躍は「ピストル・ピート」と呼ばれ恐れられた。
最大射程18200m(筆者所有の兵器学教程の余白には「強装薬で射程二万」と記載がある)


重砲
設置に時間のかかる陸上最大級の火砲群である。加農砲、榴弾砲、臼砲、列車砲を含む。
陸上では要塞の攻略(攻城)、海上では敵艦船の撃滅に活躍する。
なお、日本陸軍ではワシントン海軍軍縮条約(1925年)で不要になった海軍の軍艦用主砲を陸上用に転用。
青森の津軽要塞には戦艦伊吹の45口径30.5cm砲塔加農砲が設置された。


映画「二百三高地」などで有名な「二十八糎榴弾砲」
日露戦争での活躍が有名だが、元は日本の海防のため公務員の給料を天引きして
生産したという国民の血と涙の結晶である。イタリアの指導を受け明治17年(!)から
製造を開始、日露戦争、第一次世界大戦でも活躍し、大東亜戦争でも日本の守りについた。
最大射程7800m 東北では石巻などに配備された記録がある。


四五式十五糎加農砲(1912年)
最大射程20000mに達する。設置に時間がかかった。


四五式二十四糎榴弾砲(1912年)
攻城用の榴弾砲。射程10350m


八九式十五糎加農砲(1929年)
牽引車で機動可能な準野戦重砲的な重砲。大東亜戦争では各地で活躍した。
シンガポールから沖縄まで戦った独立重砲第百大隊の活躍は有名。最大射程18100m


九〇式二十四糎列車加農砲(1930年)
フランスのシュナイダー社に発注した鉄道で動く大型加農砲。
最大射程はなんと50200mだが、購入数は1門のみ。



高射砲及び防空兵器(別項)


白兵/携行火兵
火砲(歩兵砲/速射砲/迫撃砲/野砲/山砲/野戦重砲/重砲/高射砲および防空兵器
車輌(戦車/装甲車/装甲自動車/牽引車/乗用車/自動貨車/特殊車輌/鉄道兵器
軍用機(戦闘機/爆撃機/偵察機/襲撃機/練習機/輸送機/グライダー/オートジャイロ)


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