タインの見た夏の雪・1


ぬくぬくと暖かいコタツの中で
物心ついた時は母さんのふさふさした毛に包まれていた。側にはニイちゃん、ネエちゃんたちがすやすやと眠っている。母さんの体は柔らかくてとても優しい。そのあまりの気持よさに、ボクはそのまままた寝入ってしまう。そんなことを今でも夢の中のことのように憶えている。
 
ボクはその小さな家に生まれた。そして子猫と呼ばれた幸せな時代をそこで暮らした。
名前は・・・そうだな、あの頃はクロチンと呼ばれていた。鼻と口元が黒いからなんだって。クロチン、ちょっと懐かしい名前。


ボクはいつも家族と一緒。
ボクらは5人兄弟。ニイちゃん3人にネエちゃん1人。そしてボクは末っ子だ。
部屋の中は暑いくらいだった。今考えれば夏だったんだな。時おり窓から吹く風が気持ちいい。

お腹が空いた時には兄弟みんなでワイワイ言えば、たいがいの場合ミカちゃんがお皿を持って現れる。ミカちゃんって知ってる?人間の女の子なんだよ。
彼女のことは今でもはっきりと憶えている。よくボクらを手にとって撫でたりキスをしてくれた。人間って大きくて優しいんだな。ボクらを可愛がったり食事を持って来てくれたりするんだな。そこには他にも何人か人間はいたけれど、ボクらの世話をしてくれるのはなんてったってミカちゃんが一番なんだ。
でも、小さい頃はみんながボクらを可愛がってくれたよ。
そう、小さかったあの頃はね。
 
風が少しだけ涼しくなった頃、ボクらはいつの間にか一斉に大きくなっていて、寝床のダンボール箱がとっても窮屈になっていた。こうなると兄弟みんなで「イイ場所」の取り合いだ。「イイ場所」って?もちろん母ちゃんにピッタリとくっついて寝れるところさ。

初めて外に出た時のことを思い出す。ボクらはミカちゃんに抱かれて眩しい戸外に出た。そして優しく庭の草の上に降ろされる。頭に降りかかる笑い声。
風が波のように吹いて来て涼しい。草の匂いも葉っぱの音も、コンクリートもお日さまも、みんな珍しかった。ボクはそこら中手当たり次第に、でもしっかりと用心は怠らずに探検して回ったものさ。ちょっと怖かったけど、平気。側には母さんがいたんだもん。ニイちゃんもネエちゃんも一緒だったしね、もちろんミカちゃんもさ。大丈夫。


もっともっと涼しくなった。
風の匂いも変わって来た。
いつの間にか木の葉の色が黄色くなっていた。

そして風はとても冷たくなった。

その頃家の中に、とても暖かい場所が現れた。
人間たちはそれに足を突っ込んでる。それはコタツって言うんだ。その周りにいるとイイことがたくさんあるんだよ。美味しそうな匂いがする時もたびたびある。「それちょうだい!」って一生懸命言ってれば、もらえる時もあるんだよ。やっぱりネコにとって粘り強さは大切さ。ボクはコタツの中で寝るのが一番好きだ。
ボクはコタツの中で、とても幸せだった。でもボクらが大きくなるにつれて、人間たちからあまり可愛がられなくなって来たのも事実だ。ミカちゃんだけは別だけどね。他のもっと大きな人たちからは、時々怒られたり追い払われたりするようになった。どうしてなんだろう。

ある日外が一面真っ白になっていた。

「きれいだなあ。」空からひらひら、ひらひら、花飾りが舞い降りる。
ひらひら、ひらひら、風に舞う白いお花はなんだかとても面白そう。窓の側に寄ったらひんやりと冷たさが伝わる。外に飛び出してあの白いお花を捕まえたいけど、寒そうだなあ。

その時はまさか、もうすぐ自分がその雪の中を嫌と言うほど歩きまわることになるとは、まったく思いもしなかったんだ。


ある日、ボクら兄弟はみんな箱の中に入れられた。
その人はいつもボクらと一緒にいる人のひとりだったから、なにも疑うことなんてなかったんだ。でもその時は怖い顔をしていた。
ミカちゃんは学校に行っていていない。母さんはただならぬ気配を察して、人間に懸命に抗議したみたい。箱の中のボクらは何が起こったのかわからない。右に左に大きく揺れながら、運ばれたような気がする。
ボクらはみんな声を限りに母さんを呼んだんだけど、頼みの母さんの声は次第に遠く、遠く・・・やがてまったく聞こえなくなってしまった。そして替わりに聞こえる振動の音と不規則な激しい揺れ。気分が悪くなって来た。いつまでこんな状態が続くんだろう。ボクは吐きそうになっちゃった。

ドルルルルル・・・・・・・・・


箱の蓋が開いたのはとても静かな場所。初めて感じる気配。箱を覗いてその人はボクらに何か言った。そしてそのまま歩いて行ってしまった。

恐る恐る箱から身を乗り出してみる。

なんかすべてが違う。青い空気、大きな草薮、高く聳えた杉木立・・・。今まで見たこともないものばかりだ。でもこの時ボクらはまだ不安じゃあなかった。だって今までボクらが見て来たものは、みんな珍しいものばかりだったしね。そのうち母さんが来てくれるだろうし。ミカちゃんだって・・・

遠くでドルルルルル・・・・・・・というあの音が鳴って、やがて聞こえなくなった。
ボクらは箱から抜け出して、まずニイちゃんそしてネエちゃんと、兄弟全員地面に降り立った。
チクチクするのは硬い木の葉っぱだ。こんな葉っぱ、見たことない。ひんやりとボクらを取り巻く山の空気。所々雪を被った冷たい地面。
一通り探索した後にボクらは突然、とても大切なあることに気がついた。

母さんがいない。

どうしてもっと早く気がつかなかったんだろう! 母さんがこんなにどこにもいなかったことは今までなかった。けれど待てよ、多分どこかにいて、呼べばいつもの通りすぐに出て来るのかもしれない。そうさ、そうに違いない。
 
いち、にの、さん!

ボクらは一斉に母さんを呼んだ。
 
 


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