第9夜
 今から数年前まだ今のような新しい牛舎が建っていなかった頃、現在の建物が建っている所は、なだらかな起伏の連なる広い牧草地だった。緑の草原のほぼ中央にバラ線を張った牧柵が長く伸び、それに沿って、朝夕放牧される牛たちは列をなして草地へと向かった。その向こうには黒々とした森とその上に広がる青い空。牛たちはここで日の暮れるまで草を食み、寝そべり、時には牧柵を破って未開の地を冒険する。ここは彼らにとって安心と憩いの場所だった。
 今、一面に白く包まれたその広野を、牛たちが列をなして通り過ぎて行く。あの頃と同じように、牧柵に沿って茶色く踏み固められた道があり、その上を次から次へと牛たちが歩いていく。牧場の牛舎も造成した平坦地も今は無い。ただあの頃と同じような草原の起伏があり、そこに遠くまで張られた牧柵に沿って、牛たちはまっすぐに歩いて行く。
 「歩いているんだけれど、まるで飛ぶように速いの。」
朝起きてから彼女は言った。
 「みんなウキウキと喜んでいるみたい。」
 牛たちの列の最後には、長靴を履いた男の人がいた。おそらくは過ぎ去ったいつかの日と同じように、いたずら好きの子牛が、二度と柵を潜ったりして道に迷わないように、しんがりでしっかりと牛を追いながら。
 「長靴の人は、こっちを見て、じゃあな!と言ったようだったの。とても喜んでいた。」
 長い長い列をなして牛たちと、そして長靴の人が過ぎ去った後、在りし日の牧草地も、柵も、かき消すように彼女の視界から消えていった。

 それが彼女の牧場で見た最後の夢だったし、牛たちの霊と会うことができた最期だった。

 
(続く)


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