第10夜
 夜中に走る電車の音、車のうなり。今のこの環境の中では、あの牧場で暮らしたことが遠いことのように思える。まさかまた自分がアパート生活をすることになるとは思ってもいなかった。
 私はこの春から市内の会社でサラリーマンをしている。彼女は県内の有名な温泉地のホテルで、酔っ払い相手にラーメンの給仕をしているそうだ。社員寮に住み込みで。
 私たちが少しの期間だけれど、可愛がり面倒を見た牧場のあの牛たちは、今どうしているだろう。ヤセッポは、レオは、パンダは、ちょんまげは、...みんなしあわせでいるだろうか。今時分、真っ暗な牛舎の寝床でなにを思っているのだろう。
 あの晩、多勢の牛たちが去っていった日は、ちょうど私があの牧場での最期の仕事を終えた日だった。当初ひと冬の仕事のつもりが、私自身よんどころない事情があり、一身上の都合で春を待たずに辞めることになったのである。結果的に僅か2ヶ月間の牛との付き合いになってしまった。
 けれど密度としてはとてもとても深かった。彼女も私も本気で牛たちと向き合い、共に魂を育み合ったひとときだった。
 長靴の人は、あの日以来もう現れてこない。牛たちもおそらくはみんな行ってしまったのだろう。
 でもその後彼女と電話で話したところによると、可愛い牛たちはたまに気の向いた時、彼女の夢の登場人物として現れたりもするそうだ。



    
    


 この冬、牧場には例年になくたくさんの雪が降り、夏は一面緑の放牧場も、ところによっては腰までも深く埋め尽くされた。私たちの宿舎の前も、除雪した雪が背の高さを越えて壁のようにそそり立っている。そんな一面の銀世界の中で、彼女と私とが出会った不思議な体験をつづってみました。長らくお付き合いありがとう

 
(牧場夜話・完)

おしまい

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