第8夜
 思い起こせば、彼女が来てから牛たちと私たちの身の周りに起こった多くの不思議なことは、すべてこの日のためにあったのだと思う。私たちの宿舎が、この冬48年来の寒さと大雪に見舞われたにもかかわらず、いつの日にもなぜか暖かだったのも、誰もいるはずのない昼下がりの土間に聞こえた牛のゲップも(牛は草を腹いっぱい食べると、ちょうど日中のその時間帯によくゲップをする)、67番が死んだその日から毎夜彼女の枕もとに現れ、そして夜を経るごとに次第に数の増えてくる牛たちも、死んだその日に、当初出勤するはずだった牧場のスタッフに急用ができて、その代わりに私が牛舎で働き、その結果67番の死に立ち会うことになったのも、みんなみんな始めから仔細に計画されたかのように、すべてが絡み合って起こったことだったと思う。
 更に遡れば、当初私が自分でも思いがけずにこの牧場で働くことになったことも、その結果私の知人である霊感の強い女性がここにやって来ることになったのも、ここで長靴の人に出会ったこと、その人から彼女が何かを伝えられ託されたことも。そういえば彼女は以前言ったことがある。日本に来る前、母国アルゼンティンを発つ数日前に何となく予感がして、日本において何かしら霊に関係することが起こるような気がしていたと。
 牧場から外に下る道の出口に、潅木に囲まれた曲がり角がある。昔なら馬捨て場や牛捨て場などと呼ばれたような所だったのだろう。かつてこの牧場で不慮の死を迎えた子牛たちが、人知れず葬られているという。
 もちろんここにも畜霊塔と呼ばれるものはある。昔から牛馬を数多く飼ってきた地方には、畜魂を弔うために集落のどこかに慰霊碑が建てられていたりする。共にいる間家族同様に生きて暮らしてきた家畜たちに最期に用意された、ささやかな安らぎの場である。この牧場にも、畜霊塔は小高い丘の中腹に大きな石でもって建てられ、新年やお盆には、牧場にまつわる関係者の中の有志によってお参りされているという。
 それでも一方畜霊塔の立つ以前に、公然とは埋葬されずに死体処理された牛たちもいたことは事実だったのだろう。彼らは牧場の一角に穴を掘って埋められ、いつしか誰ひとりお参りする人もなく、やがて忘れられ時の経つままに枯葉とともに腐葉土と化していった。
 この世に生まれて自らの生を全うし、定められた時にその生涯を閉じる。その本質は私たち人間と何ら変わることのない、宇宙の一環をなす尊き生命のひとつ。
 そう、67番が死んだ瞬間、その場にいるのは私でなければならなかった。彼が苦しみ、舌を出し、白目を剥いて断末魔の痙攣を起こしている時に、そこにいるのは私でなければならなかった。
 なぜなら私にはその瞬間脳裏に焼きついた私自身の思いを、彼女に伝える役目があった。
 そして霊感の強い彼女は自然に気づくことができた。彼女の周りに、この牧場で日常生活を送る私たちの周りに、目に見えない多くの牛がいて、誰かがそれに気づくのをじっと待っていたことを。
生きているときと同じように草を食み、のんびりと歩き、ゲップをしながらも、牛たちはいつか誰かが教えてくれることを知っていた。道を失った自分が行くべき方角を。
(続く)


第9夜へ

牧場夜話MAIN PAGEに戻る