第4夜
 動物を飼うということは、生きているもののその生命を養うということ。それは人がその家族を養うのに等しく、特にそれが家畜であれば、殆どの家畜はもはや自然界の中で単独で生き延びるほどの逞しさを持っていないから、人間の手に頼らなければ生きていけない。また養い方次第によってはどのような性格、習慣にでも育てることができるということでもある。
 牛飼いの一番の大切さ、大変さもここにある。朝の餌やり、夕べの餌やり、そして糞出し...単調だけれど日々の仕事に休みはない。雨の日も、風の日も、病気の日も、災難の日も、牛たちにとって必ず決められた日課は行われなければならない。そしてそれ以上に大切なのは、人間の牛たちに対する接し方だろうけれど、、まあここでは給餌と糞出しだけに絞って話を進めていく。
 牛たちは食べる。人間の目からすれば、驚くほどに食べる。そして当然食べた分は出す。だから毎日の糞出しは、餌やり以上に重労働だ。これが重いし腰に来るのなんのって...。だから牛舎で働く人はみんな、どこの土木作業現場でも大歓迎されるだろう。
 春も夏も、木枯らし吹く晩秋も、そして吹雪の冬も日々その作業は続けられる。牛を出し、糞を掻きだし、餌を用意する。牛を外に出すために、厚く積もった雪の中をズボリ、ズボリと放牧地まで歩いていく。柵を開けて牛を放す。風の吹く日は特に冷たい。
 帽子にカッパ、そして長靴は、牧場で働く人の冬支度だ。ズボリ、ズボリと雪を踏む。雨の日も、風の日も、そしてもちろん晴れた日も、ズボリ、ズボリと雪を踏む。
 おそらく彼女の見た長靴の人も、もしかしたらかつて牛を追っていた人でなのかもしれない。その出で立ちを思えば何となくそう思わせられる。それに彼女の足首を掴んだとはいうけれど、彼女によれば悪意というものが感じられなかったそうである。ただ何かを伝えたくて、注意を惹くために足を掴んだだけなのかも知れない。
 
 彼女にそんなことがあった晩から、私たちの身の回りで少し不思議なことが次から次へと起こって来た。
 昼間私が牛舎で働いている間、彼女は宿舎でひとり、料理を作ったりしている。昼下がりふとある時分になると、宿舎の土間で誰かゲップをしているそうだ。
 初めはそれを、私がトイレにでも帰って来てゲップでもしているのかと思っていたそうだ。けれどそう思って出てみてもそこには誰もいない。おかしいなと思って引っ込んで、そしてしばらくするとまたゲップの音がする。
 
 それから数日後に彼女は今度は牛の夢を見た。子牛たちが牧柵から首を突き出し、伸ばせるだけ首を伸ばして、みんな思い思いに甘えてくる。可愛い鼻を擦り付けるように、一心に首を伸ばして甘えてくる。
  
 その翌日、一頭の牛が死んだ。
(続く)


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