第2夜
 牧場の朝は早い。夏でも冬でも朝6時前にはもう牛たちの朝の食事が始まる。1月の夜明け前、1日で一番寒い時。ここ奥羽山脈の麓では毎朝気温は零下10度を軽く越す。
 彼女は南米アルゼンティン生まれの外国人だ。以前私が東京で働いていた頃、ふとしたことから来日していた彼女のお姉さんと知り会う機会があった。そしてそれから10年近く経った今、その縁を辿ってかねがね憧れの日本に来て見たいと思っていた彼女は日本の、しかもいきなり山深いこの牧場に顔を出すことになったのである。
 暖かいところの育ちではあるが、彼女は健気にも来た翌々日からは私の牛舎での仕事を手伝ってくれた。牛舎に入れられている牛たちの放牧、糞出し、餌やり...。例え不慣れで少しではあっても、思いもかけない助っ人は折りしもその頃腰痛に悩まされていた私にとって大きな助けになってくれた。
 また彼女は不思議にも、牛たちととてもよく馴染むことができた。
 通常、牛は見慣れない者に対しては、始めは警戒するものである。人の方から不用意に近づけば、逃げたり嫌がったりする。ところが彼女の場合は、少し様子が違うようである。
 
 彼女が牛舎に入る。
 のそのそ...もぞもぞ...(働いているつもり)
 牛が近づいてくる。
 ーオイ、お前、見慣れない顔だな。新入りか? いつこっちの部屋に移されてきたんだ?
 ー(牛の言葉がわからない)ワッ! 来たっ!! 近くに来ないでよっ!
 ーなんだお前。人間の着る布切れなんか体に巻きつけて。どこで拾って来たんだ? 
 ーコラッ! 服を引っ張るんじゃない! シッ! シッ!
 ーそれにこの尻尾... ちょっとおかしいぞ。生えてるところも随分頭の近くだな。オイ! みんな。チョッと来てみろよ。
 ー髪の毛を引っ張るんじゃないの! ワッ! 牛が増えてきた!こりゃたまらん! 
 ーオイオイ。逃げるんじゃないよ。あっ。柵を潜り抜けた。まるで人間みたいだな。まァ、体が小さいからな。オーイ! あんまり遠くに行くと、人間達が追いかけてくるぞー。早くこっちに戻ってこーい。
 
 恐らく彼女と牛との出会いはこんなものだったんだろう。(と推測する。)かくして彼女の同類に囲まれた幸せな牧場生活は始まった。
 けれどそう思ったのもつかの間。私達の宿舎に奇怪なことが起こりだしたのは、その夜からだった。そのとき初めて、私は彼女の一般の人とはちょっと変わっている、ある能力に気がついたのだった。
(続く)

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