過去のトップページ写真集


本HPのトップを飾った各種写真を紹介します。初期の物は記録していないので思い出しながら掲載しています。


20130902 から20130926まで


えさし郷土文化館:企画展「近代江刺の夜明け」 
展示期間:8月3日~9月16日(9:00~16:00まで年中無休)
内容:高野長英と海防論~戊辰戦争と江刺~
近代化と軍事・日清日露戦争を中心に~明治警察制度の確立 
乞うご高覧!

当博物館出品物約100点 以下順不同で一部を公開
博物館本館からは
①豊島陽蔵陸軍中将(日露戦争で乃木将軍の第三軍攻城砲兵司令官)が大佐時代の大礼服一式(1900年頃)
②明治十九年式軍装(近衛歩兵)上下、軍帽(1890年代)
③明治初期の警官制帽
④明治末から昭和初期の警察官夏服一式(制帽欠)
⑤警察官サーベル拵
は借用依頼済みです。

博物館分館・アーカイブからは
①日清戦争錦絵(部分)三点 B3版 平城攻略、不明、日清談判
②日露戦争石板画(旅順攻撃)
③掛け軸「教育勅語絵巻」
「世界の偉人」
「大日本帝国艦船発達の図」
「軍人勅諭(明治天皇)」
「日露戦争終戦の詔勅(明治天皇)」
④引札(江刺郡田茂山の鋳物屋)「金鵄勲章、軍艦、鷹、なすび」
⑤日露戦争両軍軍艦比較図
⑥石版画「東郷元帥」「乃木大将」
⑦明治時代警察肩章
⑧明治時代陸軍肩章各種
⑨明治時代将校脚絆
⑩明治時代砲兵脚絆
⑪三十二年式軍刀乙型(拵)
⑫スナイドル銃剣(拵)
⑬三〇年式水筒
⑭明治時代田原村の近衛兵の資料
⑮明治時代の兵書(明治10年代の歩兵操典、軍隊内務書)
⑯日露戦争勲功録
⑰勲章勲記箱(個人名・漆塗)勲記・勲章一式
⑱明治時代の各種勲章記章
⑲日露戦争のスコップ(明治二十三年式方匙)
⑳三八式軍衣
21:四五式軍衣袴
22:明治時代将校長靴
23:軍足(本物)
24:明治19年式兵軍帽
25:明治時代の軍装参考写真
26:明治時代の各種銃砲弾
27:明治15年 警察署監獄建設寄付感謝状 岩手県から小玉和蔵氏へ
28:日露戦争凱旋記念写真 大判(弘前第三十一連隊)

などなど
(内容は一部変更になる場合があります。ご了承ください。)


20130713から20130901まで



主催の渡部さんや高橋さんは地元の誇り、後藤新平、斎藤實の演劇を
を手掛けてきたベテランのアクター兼演出家です。
当博物館も、時代考証や小道具の協力をしております!
ご興味のある方は
奥州市文化会館「Zホール」までお問い合わせください! *公演は終了しました。

公演は大盛況で終了しました。満員御礼だそうです!

20130517から20130712まで


五月二十七日は第百八回海軍記念日
(海軍記念日は日露戦争の勝利を決定づけた、明治38年西暦1905年5月27日の「日本海海戦」を記念する日です)

欧米の姦計、非情不平等なる軍縮を強要せられたる日本。
我らがなすは世界に冠たる造艦技術の精髄を残された艦艇に注ぎこみ、
帝国海軍軍人は訓練また訓練の猛訓練を以て物量を凌駕せんとす!
すなわち、帝国海軍の日課は「月・月・火・水・木・金・金」にして訓練あるのみ!!
「一発百中の砲一門、よく百発一中の砲百門に勝れる」大東郷の教えをいまぞ試しみん。

護れ海原。海洋こそ、太平洋(大東亜海)こそ我らが生命線!!
堅き護りは東亜の鎮め
諸君!この父祖の偉業を受け継ぐ決意を胸に大日本帝国海軍万歳!を連呼いたしませう。
(当時の少年雑誌より)

20130415から20130516まで

昭和十四年から 四月七日は「愛馬の日」 軍馬報国!


20130101から20130415まで


庄田藤治工兵中将(陸士四期)福井県出身
中将大礼服・九八式軍衣袴(前期型・写真参照)一式・四五式軍衣改造九八式軍衣・軍帽その他一式が寄贈されました


 
ミニ特集:知られざる大東亜戦争美術展④新年号
左)画・木下孝則(1894年2月24日 - 1973年3月29日) 「農村新年」(出典『主婦の友』昭和19年)
右)画・北 蓮蔵(1876年・月・日 - 1949年・月・日)「旗艦〇〇艦上の山本提督」(出典『主婦の友』昭和18年)
木下画伯は戦後、バレリーナを題材に取った一連の作品で有名な洋画家。決戦下の元旦を祝いつつも農事に精を出す銃後の婦人の眼差しを描いている。
山本五十六海軍大将の活き活きとしたリアルな肖像を描いた北画伯は、日露戦争の際に勅使に随行した山本芳翠の助手として従軍。
大東亜戦争では昭和18年第2回大東亜戦争美術展に出品。昭和16年第5回海洋美術展、昭和17年第6回、昭和18年第7回の同展にも出品。
(参考:国学院大学靖国之絵巻HP http://www2.kokugakuin.ac.jp/kaihatsu/maa/yasukuni/artist_kita.html


20121028から20130101まで


 
ミニ特集:知られざる大東亜戦争美術展③
左)画・宮本三郎(1905年5月23日 - 1974年10月13日) 「マライの娘達‐昭南島忠霊塔に参拝‐」(出典『主婦の友』昭和19年)
右)画・陸軍報道画家 田村孝之助(1903年9月8日 - 1986年6月30日)「兵隊とビルマの子供」(出典『主婦の友』昭和18年)
解説:作家の詳細は美術年鑑等を参考にしてください。この両作品に共通するテーマは、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)の
理念である、「亜細亜の解放者 日本軍」の姿を現地民を通じて描いたところにあります。明るい色彩の宮本に対し、
田村の絵には粉塵に塗れながら強行軍をする兵士へ、ビルマの子供がささやかなおもてなしをするというドラマ性が興味深いです。
20120824から1028まで
  

ミニ特集:知られざる大東亜戦争美術展①
『南海制圧』 松添健 詩:西条八十(昭和17年)
↑ 聯合艦隊の威容を描いた戦時中の「主婦の友」より口絵。挿絵画家松添健の雄渾な軍艦像に対し、西条八十先生の詩が画賛か。
軍艦という力と美を備えた対象が、一つの時代、ある国民にどれ程の勇気と自信を与えたか?それを知る世代も少なくなった。
絵には写真には無い独特の力がある。戦時下の日本で描かれた絵画は単純に戦意高揚と言えるのだろうか?
自分の目と感覚でよく確かめてください。何か得るものがあれば幸いです。


 
ミニ特集:知られざる大東亜戦争美術展②
『母の手紙』『海ゆかば』 画:寺内萬治郎 (昭和18年)

↑ 寺内 萬治郎(寺内 万治郎、てらうち まんじろう、1890年11月25日 - 1964年12月14日)は、日本の画家(洋画家)。
大阪府生まれ。裸婦図で知られた。1943年から東京美術学校の講師を務める。黒田清輝に師事した。(参考:ウィキぺディア)

戦時下の母と子を描いた二題の作品。同じく「主婦の友」より。
息子を送り出すのも、傷ついたわが子を迎えるの日本の母の務めであった。
負傷兵の絵が陸軍省検閲済みとあるのは、負傷の度合いに検閲が下ったためであろう。
日本陸軍は国内向けにはあまり陰惨な場面を報道しないように神経を使っていた。


201200622から0824まで

活躍する少年戦車兵学校の九七式中戦車「チハ」

国防を訴える絵葉書(1934年)

↑我々の営みは多くの先人の力で守られたものです。
私たちも、子孫へ、後世へ、残すべきものがあるはずです。



20120507から0622まで


↑紀元二千六百年特別艦観式で初めて公開された大改造後の戦艦「比叡」(ひえい)の雄姿(記念絵葉書)


↑「海軍の船団護衛」 大東亜戦争時の漫画絵葉書より


20120306-0507まで

↑「♪見よや歩兵の操典を!前進!前進!!また前進!♪(「歩兵の本領」より)」↑
三月十日は第107回陸軍記念日です!
帝國陸軍の不屈の精神を思い、震災に負けず、未来へと進もうではありませんか!?


↑我が騎兵隊の進撃!(絵葉書) 三月十日は陸軍記念日!!


われ等、江刺郡民一致協力せる愛國の赤誠は、陸軍献納愛國戰闘機「江刺號」として大東亜の空を護らんとす
中島飛行機 陸軍二式単座戦闘機「鍾馗」Ⅱ型  (昭和19年4月献納・新岩手日報に拠る)



陸軍九七式司令部偵察機「寿号」 2012.01.01~03.06まで 


米軍攻撃判定用識別帳に拠る戦艦「長門」型の艦型 1941年版



↑国策宣伝雑誌「FRONT 海軍号」国内版『大東亜建設画報』より 戦艦「陸奥」 東方社の神業的な修正技術で大迫力の生写真に迫るものがある
東方社「FRONT」といえば、岩手県花巻市出身の写真家:菊池俊吉氏による大迫力の軍用機・戦車部隊の写真を忘れてはなるまい。





23年上半期のメイン画像。いろいろ集めましたね~


青葉師団司令部 現・仙台城大手門 1939年




見ての通り、戦時下とは言え日本と中国がわかりあえた瞬間もあったのだ。

2009年/2669年?平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館
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