Campaign to return photographs of Japanese soldiers to their families

日本兵の写真を家族に返還するキャンペーン

 

                 趣 旨
 
  本年3月、ニュージーランド在住の甚尾氏より、当博物館に対し、日本兵の資料寄贈の相談がありました。

 
  それによれば、甚尾氏の知人である
MikeTimings氏のお父上が、第二次世界大戦でソロモン諸島のブーゲンビル島に従軍し、捕虜となった日本兵とフレンドリーな交歓をした際に、記念としてもらった写真を、できれば本人か遺族に返還したいというものでした。


 ご存知の通り、ソロモン諸島のブーゲンビル島は、ラバウルからガダルカナルまでの中間にあり、日本軍最前線の航空基地として、ソロモン諸島の戦いにおける激戦地の一つでした。連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将が、前線視察中に機上戦死・墜落したのもこの島です。

 海軍は零戦や水上偵察機などを派遣しており、付随する基地設営隊や整備部隊、基地防衛の海軍陸戦隊を相当数派遣しています。
 ブーゲンビルやラバウルの日本陸海軍は終戦時まで連合軍に抵抗を続けており、最後まで頑張りぬいた名誉ある兵士たちであります。

 当館としても来歴を考えると貴重な歴史資料であり、かつ、戦後の日本とニュージーランドの友好を記念する観点から、返還を前提としたご家族の調査と、資料の公開を進めるものであります。

 本コーナーを御覧になった皆さんで、何かお心当たりがあれば、情報をいただければと思います。

 実は何枚かの写真には名前や住所がありますので、優先して当たってみる所存です。

 みなさまのご協力をいただければ幸いです。


                               第二次世界大戦を戦った勇敢な将兵と、恒久なる平和に思いを致して

                                                       平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館 主任研究員 小玉克幸


MikeTimings氏よりの依頼文。甚尾氏翻訳。



寄贈資料
 
寄贈資料① ブロマイド 長谷川一夫、李香蘭 映画「白蘭の歌」より 裏に献呈の辞あり。


資料②ブーゲンビル島でニュージーランド軍の捕虜となった日本軍将兵(推定)
劣悪な衛生環境と乏しい食糧によって見る影もなくやつれた姿が痛々しい。


資料②ブーゲンビル島でニュージーランド軍の捕虜となった日本軍将兵(推定)
軍服と階級章から海軍将兵と分かる。下士官兵の階級章を見つけることができない。


情報提供を求める「日本兵からもらった写真」

情報提供依頼写真① 
海軍の二等水兵である。裏に福島県双葉郡以下の詳しい住所氏名があるので、近く、郵便での問い合わせを行います。
結果は追ってお知らせします。


情報提供依頼写真② 
子どもの写真。戦時下に兵士に送るために撮影された家族と推定される。
お心当たりの方は下記連絡先まで。


情報提供依頼写真③ 
水兵の写真という以外、階級章もわからない。ペンネントが「大日本帝国海軍」なので昭和16年以降の撮影である。
お心当たりの方は下記連絡先まで。

 


情報提供依頼写真④ 
横須賀海兵団の水兵の写真。階級章も判然としないが、裏書もかすれて読めない。デジタル技術を駆使して三枚目の程度までは判読できる。
お心当たりの方は下記連絡先まで。

以上4枚の写真についてお心当たりの方は下記まで情報をお寄せください。
確証が取れ次第、ご本人乃至家族の方にお返しいたします。

主任研究員直通/博物館公式連絡先



〒023-1761 岩手県奥州市江刺区岩谷堂字向山3-157 

平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館 館長宛


皆様のお力添えを賜りたいと存じます。



2009年/2669年?平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館

*趣旨に賛同される方に限り、本HP内の文章・画像の自由転用を許可します。