問題の本書は、ある一冊の本を、著者が時系列・内容をほぼそのまま流用し、勝手な創作を加えたものであります。
著者の取材に応じた責任者として、とうてい児童書として看過できないものですので、一般読者の皆様へご注意を申し上げるものです。
はじめに、どうしても見逃せない点として以下の4点があります。(後程詳述します)
①子どもたちの読む本として、約40ヵ所以上もの誤記は許せない。
②取材時の約束を破り、原稿の確認を求めることなく無断で出版を行った。
③版元はノンフィクションとはいうが、登場人物の年齢や重要な事実を無断で捏造。
取材を受けた当事者を深く傷つけた。
④児童文学としての独自性(オリジナリティ)は皆無。伊藤貢『遠い嘶き』に
全面的に依拠しているのに、その点を明記していない。
これらの点はどうしても見逃せないのです。
私は、この物語の主人公である軍馬勝山号の飼主の子孫であり、地元に在って、長年資料収集と研究を重ねており、また、外部からの取材依頼を、親族を代表して受けている立場にあります。
著者である"児童文学者"いしいゆみ先生(以下、著者) なる人物は、地元の関係団体を通じて、私に取材を申し込んできました。
私は他の方の例と同様に、ゆかりの地を案内したり、自分が連載した新聞記事の資料を提供するなどしました。ただ、「物語」にするという著者の主張に、一抹の不安を覚え、商業出版の折は、事前に原稿の確認をしたいと申し入れておりました。(親族複数が立ち会っています)もし、物語であれば、作家の想像が加わる訳であり、実際の事象に関し、誤解を招く表現などがあれば多くの人たちに迷惑がかかるからです。また、ノンフィクションであれば、こちらも史実の確認が必要です。これは、多くのライターが勝山号を書くときに、誤解や勝手な想像から、あり得ない内容が情報として広まり、一部でさらに増幅されるという悪循環を招いており、少なくとも私自身に相談が来た事案はすべて内容の確認をすることにしているのです。
以前にも、こちらの説明を無視したデタラメな事を書かれたり、ひどい印象操作を受けてきた事例があるので、「報道被害」を受けた事がある身としては、事前に確認させていただきたいと何度も申し上げてきました。
また、今流行の動物やペットを題材にした安易な「良い話」「お涙頂戴」的な本にはしないでほしい。これは実際の戦争が関係する話でもあるのだ、という事も、実例をふまえ、取材を受ける段階から、さらに案内の道すがら何度も説明しました。
その後、しばらくして、著者はついに、近く本にするための原稿を完成させるので、協力者に私の名前を載せたいと主張してきました。
そこで、改めて原稿内容の確認を申し入れた当方に対し、著者は返事をはぐらかし『遠い嘶き』の内容の範囲である、と強弁しました。また、原稿を確認することなく私の名前など載せられないという、私の申し入れを無視しました。
この時点で、ここまではっきり意思表示をしていたのに、まさか、事態がこれ以上進行するなど想像できませんでした。思えば、いつ、どこの出版社から出るという話をまともに説明しなかったこと、こちらの問いに何も答えないのが特徴的でした。
そうこうするうちにいきなり、本ができたので献本したいとわずか数行のメールが入り、出版社から本が送られてきた時には、一冊は親族に私から贈呈せよと失礼極まりない要請がありました。
本の内容は、軍馬や戦時下の生活を調べている人間に言わせれば、浅薄極まりなく、80頁中、少なく見積もって40ヵ所以上もの誤記と理解不足からくる誤った記述のオンパレードでした。しかも、その本の下敷きとなっているのが、私の親族 伊藤貢が書いた『遠い嘶き』です。同書のな内容を言葉尻だけ変えてトレースしたものなのです。
真っ先に本書を見た私の母が「あ、これは伊藤貢『遠い嘶き』の盗作だ!」と切り捨てました。我々親族にとっては最もなじみ深い文献である『遠い嘶き』は一族として何度も何度も読んできたものです。本書の内容は、後に出版社側を交えた会談でも明らかになったように、基本線は『遠い嘶き』そのものなのです。
また、載せるなと言った私の名前も、漢字を間違えて参考文献に掲載されています。あろうことか、最大の協力者である私が、自分の名前の出方を問題視していた事実を知っていたにも関わらず、名前を載せるとは。さらに、間違えるなどとは…。著者の人間としての認識力の欠如を物語る一例であります。
内容の問題点に戻れば親族もほとんど実名で、しかも、主人公らしき少女は、私の祖母と叔母を、実際の年齢を変えて、戦前に登場させています。叔母は戦後の記憶しか無いと、著者の前で証言しているにも関わらず、です。祖母が馬をどのように見ていたかという文献は存在しません。物故して30年になる祖母に著者が会った訳ではありません。
著者は母と叔母に会っているのに、これらの重大な事実改変について私たちに打診さえせず、許可を得ずに独断で行いました。これは明らかなルール違反です。
フィクションか、ノンフィクションかも大問題でした。たしかに勝山号の話を下敷きにした創作は認められるでしょう。しかし、それは実在の人物を多数出して、そこに空想の存在を紛れ込ませることで成立するものでしょうか?ストーリーを下敷きにしても、実名の名前を使わない表現があったはずです。また、ノンフィクションであれば、子供向けの表現はあったにせよ、事実が基礎となっていなければならないでしょう。なぜ、私ら関係者の目を掠めてこんなあいまいな内容の性格の本を目指したのか?そこに実在の有名な勝山号の名前を使えば、宣伝になるという著者のあざとい本性が垣間見えるのです。あるいは、どんなに調べても、著者の空想力では、事実を下敷きにしたフィクションを書き上げる能力が最初から欠如していたか…これはかりそめにも児童文学者を名乗る著者として、あってはならないことでしょうが。
本書の帯にある「本当にあった物語」という表現も、著者側の逃げが最初から入っていると断じるに足るものでした。先行する文献の良いとこ取りのつぎはぎに、著者のつたない空想を加えた作文というのが本書を読んだ私の率直な感想です。
多数列挙した参考文献に一応『遠い嘶き』とはありますが、本来であれば真っ先に、『遠い嘶き』に全面的に拠っている旨を巻頭に明記すべき位の盗作・剽窃ぶりです。
また、岩手県江刺地方では考えられない空想の「方言」表記の数々も、地域に根差して生きる者にとっては、アイディンティティ否定以外の何物でもありません。大変な侮辱です。戦時中のエピソードや戦場の様子などどこからか取ってきたようなものばかり。実は取材時に、いろいろ話をした際に、その基礎知識の不足に、不信感を持ってしまったのもまた事実です。
また、戦時中に勝山号の伝記として刊行された『聖戦第一の殊勲馬 勝山号』からの記述をよく理解しないで、間違えた内容で引用する部分までありました。
このように取材者側の意向を完全に無視する著者は話にならず、当方は、直接出版社相手に猛抗議を行いました。出版社からは私の抗議を受理し、社内で検討中との回答を得ました。問題となる本書の性格に関しても、編集長名で、本書は「ノンフィクション」であるとの出版社側の認識を得ております。
帯にあった「本当にあった物語」というフィクションでもノンフィクションでも良い、という著者の欺瞞性はここに封殺され、以降は、ノンフィクションとしての児童書の問題として扱う事になっています。
こうした抗議を経て、出版社側の斡旋で、6月27日、奥州市内にて著者との会談が持たれました。内容はすべて録音してありますが、そのあまりに酷い内容をかいつまんで指摘すれば、
・私は善意で本にしてやった。今まで本になって喜ばなかった関係者は居ない。
・本にしたら講演会など行う予定だった。
・(事前に内容を確認したいというこちらの話を)知らない。聞いていない。了解は経ている。(実際の電話でのやり取りを無視したかのような見え透いた嘘を追及すると)それはあなたも同じでしょう!?(と居直る。自分の非を認めたとも取れる)
・「こういう本は、岩手県でも全国でも『遠い嘶き』のパクリと言うのではないでしょうか?」(というこちら側の度重なる追及に答えられず、謝罪もせず。)
・「なぜ直接取材に協力した人の年齢や証言を無断で変えるのか。祖母についても何の材料も無いのにデタラメを書かれてとても残念だ」(という抗議にも何も答えず。)
・怖いから確認の連絡などをしなかった。
・自分の考えひとつでこの問題はどうとでもできる。問題があるならば絶筆して見せる。
等々あまりの放言に当方は言葉を失う。特に≪善意で本にしてやった≫というくだりは、非常に侮蔑的な発言であり、作家という立場を誤認した驕慢そのものの姿である。
・(出版社側)本書の性格はノンフィクションと認識している。本書は『遠い嘶き』無しに成立しないということも認識している。現在の流通は中止してある。
と出版社側からは一定の認識を得られ、「ノンフィクションとしての指摘事項」を列挙して示すことで合意しました。
今現在、本書は出版社側の問題意識によって、既に出荷分を除き、追加の出荷や販売を停止しており、在庫のあるAmazonでのみ流通段階にあります。しかし、全国万一、誤った内容が全国の健全な青少年・児童生徒諸君に伝わると、研究者としても、親族としてもとても悲しく、悔しく思います。
なお、指摘事項は7月6日までに書き上げて、出版社側に送りました。(下記項目参照 PDFファイルで提示しています)その後、出版社側と著者との話し合いがもたれていますが、いっこうに進展しておりません。また、著者からは当方へ意見や謝罪など含め、一切の連絡がこず、2か月以上が過ぎています。
これはどう考えても非常識であり、無視を決め込めば逃げ切れるという著者の悪辣な姿勢がはっきり表れていると思います。出版者側も困惑している様子が伺われます。当方はもとより、世話になった出版社まで巻き込んで実損害を与えているのです。
9月18日付で、本問題に対し、著者側が自主的に絶版・回収と謝罪を行わない限り、本HPにての告発を辞さない旨の最後通告文を9月25日回答期限で作成。内容証明郵便を以って著者側に送るも、本26日18時現在、応答が一切ありません。
25日、出版社側からは、わずか六か所の取るに足らない部分とあとがきのみを修正して改訂版を出す旨の通知がありました。著者が当方の指摘に全く答えるつもりがないことがよりはっきりしました。出版社は、ノンフィクションであっても脚色する自由という些末な問題を持ち出して、いまさら本書の正当性を主張。著者への責任追及を放棄しています。このような回答を3か月もかけて行わねばならぬほど、聞き分けの無い著者を相手にしていたのでしょう。
また、初版は在庫を絶版にするとはいうものの、すでに販売された書籍の対応はなんら明示していません。これは既購入者に対して失礼極まりない話です。
さらに、出版社は「平和を訴える社会的意義から、利益も出ない改訂版を出す」と述べていますが、こんな著者に対する印税支払いの件は言及しておりません。著者一人、利益と名を上げさせるためだけに、出版社が商業出版でボランティア精神を発揮すると、今の今になって誰が信じられましょうか。実に苦しい言い訳であると思います。
いずれにしても、
今の今まで著者が当方に対して行った無礼の数々、精神的苦痛に関する謝罪の言葉は一切ありません。
よって、ここにHP上を以って、直接著者への告発に踏み切った次第であります。
これが本書刊行に際する事実です。
全国の読者の皆さま、図書館関係者の皆さま、そして識者のみなさま。お手を煩わせるのはまことにしのびないのですが、以上の理由で、本書を扱う際には、以上の訴えを御考慮いただきたく、ご注意を申し上げる次第です。
現状の本書は、虚偽の内容のノンフィクションであり、また、著者の利益の為には、文献や関係者の意思など踏みにじっても構わないという意思で塗り固めた「悪意ある児童書」なのです。 |