歴史の断片 大日本帝國時代

~映像に残された戦時下の記録~
 

このコーナーでは写真によって残された戦時中の生活や軍隊生活の断片を集積し、記録を残そうと云う趣旨で行うものです。
収録される写真の殆どが、廃棄されかけたところを幸か不幸か当博物館へ収蔵されたものです。
個人情報には十分配慮いたしますが、万一の場合はご連絡ください。善処いたします。
また、写真について何かご存知の方はご連絡を頂ければ解説等に生かしたいと思います。


第2回 岩手県沿岸地方の戦時下の写真記録 2010年12月5日入手


① 解説)裏面に記載は無いが大東亜戦争中のある家族の出征風景である。


② 裏面のメモに依ると「昭和十三年七月張鼓峰事件に依る戦死者遺骨を咸興駅頭に迎えた」


③裏面のメモに依る「故陸軍歩兵曹長〇〇〇〇葬儀場 岩手県気仙郡高田町 父〇〇〇〇 贈 東屋造花店殿」
支那事変の初期の合同葬儀であろうか?悲しい写真である。公開には悩んだが、歴史の事実を残すため掲載した。


④ 見ての通り「大日本国防婦人会矢作分会」の記念絵ハガキである


⑤ 裏面のメモに依る「昭和十九年頃 気仙の青年錬成道場 於て猪川小学校」


⑥ 裏面のメモより「城頭高く翻えせし日章旗 中央が小生  中支〇〇〇にて」


⑦第2代目の弘前歩兵第五十二聯隊軍旗 支那事変で活躍した岩手県民の郷土部隊である


↑これもまた戦争の真実である。日本軍の善政があったことも動かし難い事実なのだ。


⑦ 戦後、展示会で撮影された「恩賜の煙草」


⑧ 同じく千人針や戦利品の弾丸など。地方の各家庭には様々な歴史の生き証人がこうして眠っているのである


⑨ 参考までに「昭和二十七年頃 婦人グループの藁仕事共同作業 於 立根町和村」
戦後の復興はまだ遠いが戦時下の厳しさは見られない。

2009年/2669年?平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館