別館
戦時生活資料


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岩手縣江刺郡田原村の「ある農家」の戦時下

 平成12年頃、岩手県奥州市江刺区田原(大東亜戦争中は岩手県江刺郡田原村)のある農家から、開かずの箪笥が一個発見された。
鍵は錆付き破損しており、外観はあまりにみすぼらしく、処分するため、一部を破壊したところ、昭和30年以前の書類等がそのまま出てきたのであった。
 その中には古くは明治の地券に始まり、江刺郡が江刺町を経て江刺市になった最初期の広報誌までが含まれていた。
 特にも戦時中の資料類は、通常であれば破棄するものばかりであり、戦時生活のまたとない資料に、主任研究員は永久保管をすることを決めた。


戦時下の経済生活


支那事変国債(表) B5大


大東亜戦争国債(表) B5大

大東亜戦争国債(裏) B5大


大東亜戦争国債(別様式) B6大
発見された支那事変・大東亜戦争国債は総計600円以上もあり、軽機関銃1挺分に匹敵する。
なお、敗戦によってこの国債は全て無効となった。



江刺郡田原村の信用購買組合報国貯金通帳
信用購買組合で勧めた貯金の一種(注:現在の農協組織の基となった団体)。
本来は農家同士の助け合いや小作問題の解決などを目的とした自主的な団体だったが、
次第に国家統制に組み込まれていった。こうして集めた国民の貯金を担保に大東亜戦争は戦われた。

  
その他の国策貯金通帳 左)「愛国預金通帳」 中央)「郵便貯金通帳」 右)「愛馬貯金通帳」
この家に馬は居なかったが、何故か愛馬貯金通帳がある。目的は別にあったということだろう。
郵便貯金通帳にははっきり「大東亜戦争」を明示したスタンプが押されている。何れも昭和15~18年ころのもの


戦時下の農業生活


見ての通りのポスター。あらゆるものを国策へと協力させた。


戦時農業要員指定令書(表)


戦時農業要員指定令書(裏)
「1.戦時農業要員は国民食糧確保の国家要請に応え全力を発揮して食糧農産物の増産を図るべきものとす」
岩手県知事の名前で出された公文書で、若者のほとんどが戦場へ行く中、残った老人・女子供・病人等で、
1戸当たり数十アールもの農地を管理する様は、戦場と変わらぬ状況であったと言えよう。
東北地方の農村は、特にも飢饉や凶作が多発しており、満洲事変直後の昭和9年には大凶作があったばかりであった。
東北地方の兵隊が過酷な戦場でも不平を言わず勇敢に戦ったのは、既に日常生活が軍隊以上に困難であったからだと、
岩手県内の多くの農民史・民衆史研究者の一致した見解である。


電気事情


東北電燈株式会社領収書(電気代)


東北電燈株式会社領収書(ラジオ代)

暗いと言われた東北の農村をさらに暗くしていたのが、電気の恩恵の少なさだった。
上の表を見てもらえばわかるが、我が家の電源は4個であり、うち一つは切断してある。
また、ラジオの聴取料金も電燈会社が集金していたようだ。
当地方では、電燈がある家庭は非常に恵まれていたそうで、戦後昭和30年代までランプ生活の家庭もあったほどだ。
「ラジオは近所では我が家のみが保有しており、終戦の玉音放送もみんなで庭に集まり聞いた」という。


2009年/2669年ⓒ平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館