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帝国海軍10大戦艦を紹介しませう


航空隊の教官「なに!?大和がいない?大和とは「一號艦」のことかな。そんなものは知らんで宜しい」(←実話)

*写真は全て大日本帝国海軍省公表/許可写真


戦艦/練習戦艦


戦艦「長門」(ながと) 1936年


戦艦「陸奥」(むつ) 1940年


戦艦「扶桑」(ふそう) 1935年


戦艦「山城」(やましろ) 1935年


戦艦「日向」(ひゅうが) 1937年


戦艦「伊勢」(いせ) 1937年


戦艦「金剛」(こんごう) 1937年


戦艦「榛名」(はるな) 1934年


戦艦「霧島」(きりしま)? 1942年?


練習戦艦「比叡」(ひえい) 1936年


参考)大和型戦艦に関する開戦前の公表情報
 
 支那事変以前の艦艇建造は、基本的に官報に掲載されていた。よって、詳細な性能は不明でもどんな軍艦を建造しているか国民はわかっていた。大和型戦艦の設計要求は
1934年に出ており、数々の基礎研究を行った上で、1937821日に海軍大臣から建造命令が出された。よって、昭和12年度海軍予算に建造費用が計上された。当時は支那事変の初期であり、まだ、議会の勢力もあったので、建造自体は公表せざるを得なかった。

『時事年鑑 昭和12年度版』(193610月)の「国防」では、

「海軍新建艦計画」として、以下の記事がある。

「…永野海相は七月十七日の閣議に当り大要下の如き海軍の国策文書を廣田首相に手交した。即ち「主力艦の代艦建造は既存条約が存続したとしても当然来年一月一日(注、1937年1月1日)から開始し得ることになっているのみならず、本年末を以て無条約状態に入ることとなり、英米に於ては既に主力艦の建造計画を始めとして厖大なる新規の海軍兵力充実の予算を計上している。此国際情勢に鑑み帝国海軍としても主力艦の代艦建造を始め、航空兵力充実の為め新たなる補充計画(第三次補充計画)を樹立する必要に迫られている。しかし乍ら帝国海軍としては補助艦艇の第二次補充計画は来年度が最終年度で、これに一億八千万円が振り向けられている事情もあり、国家財政を考慮して新規計画も最小限度に止めた。蓋し帝国海軍としては敢て英、米、露等の建艦政策に追随することの必要を認めず、建艦競争を為すことなく、飽くまでも不脅威不侵略の根本方針に立脚して新規計画を遂行せんとするものである」以上の如く海相の文書には補充計画の内容並に之に要する経費には一切触れていないが、其後海軍から大蔵省に提出された概算に依ると、新建艦は主力以下殆ど全艦種に亘り合計二十万噸前後に及び、所要経費は五年継続総額十億円に上って居る。…
 ここで、初めて海軍は戦艦建造を公に宣言したわけだが、控えめな計画であることを仄めかしている。素直に読めば戦艦以下・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦や特務艦艇を含み各種合計二十万噸前後、五年継続総額十億円というかなり大規模な計画であることがわかる。


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