ラムの思い出
ラムが死んで1年と1ヶ月が経った。
我が家で生まれ育った猫たちの中で一番短命だったラム。
その思い出の一端を、ここに書いてみようと思う。

コマリンは2年前に4匹の子供を産んだ。
ロッキー、レオ、マスキー、そしてラム。
男2匹、女2匹の構成。鶏でも猫でも普通はメスに比べてオスの割合が大きい。しかし動物界では食環境がよくなるにつれてメスの生まれる割合が大きくなるようだから、移住2年目にして猫家の「猫の」食環境は随分とよくなったようだ。
猫の出産は我が家で2度目になる。コマリンはミーコほど神経質じゃなかったから、大人しく私が奥の部屋に用意した箱にそのまま産んでくれた。

ロッキーはなぜか尻尾がとても短い。ジャパニーズ・ボブテイルみたいだ。
レオは長毛のトラ猫。父さんのヤマトの色違い。
マスキーは、サビ猫。生まれた時から年寄りのような顔をしている。女なのに可哀相?
そしてラムは、唯一お祖母さん(ミーコ)似のアメリカン・ショートヘアの模様を体に持っていた。

よくもこんなに種々雑多な品種が混じっていると思う。親からは想像もできないような色や模様がポンポン出て来る。ちなみに彼らの父さんは、コマリンの兄のヤマト(長毛の黒猫)である。
また、代を経るにしたがって猫家の猫は皆おっとりとして来た。
人を信頼し、争うことをしない。犬のスヌーピーとも仲がいいし猫同士で遊ぶことはあっても喧嘩するのをまず見ない。
机や流しの上に上がらないように躾けているので、よその家に行っても悪さをすることがないそうだ。だからどこでも好かれる。
彼ら4人は春から夏、秋を経るにしたがって健康で大きく、たくましく育って行った。

そして師走の風が吹く頃、ある日私はラムの様子が少しおかしいことに気づいた。
夕飯の時に、格納庫の屋根裏からミャア、ミャアと鳴くばかりで降りてこない。
猫家では当時9匹の猫所帯。その餌を確保するために、町のスーパーに頼んで魚のあらを定期的に頂いて来ていた。それを大鍋で煮て冷蔵庫に保存しておき、朝夕の2回玄米と混ぜて食べさせる。その他にキャットフードも用意しておき、だいたい2回魚を食べさせたら1回フードを食べさせる感じで替わりばんこに与えていた。栄養を補完するためである。
だからその頃の我が家の猫たちはほとんど魚のあらで育ったと言ってもいい。
私としては魚の方をたくさん食べて欲しかった。なんと言ってもその方が餌代がかからないからである。キャットフードはかなり良質のものを買っているから高くつく。安いフードは食べさせるだけ健康を害する。
しかしあまりに魚が続くと、猫たちは嫌がるようになって来た。
それを、好き嫌いを言わさないで食べさせる。貧しい猫家の苦しいところである。
そして、ラムが病気になった。

黄色脂肪症 −−−不飽和脂肪酸を多く含む赤身魚を常食すると罹患するビタミンE欠乏症。

そんな病気があるということは思いもかけなかった。
当時スーパーから頂いていた魚のあらは、季節柄もあってほとんどがカツオだった。
子供の頃飼っていた猫は煮干と白米だけで長生きしたものである。それに比べれば我が家では貧しいなりに食事には気を使っていたつもりだ。
しかし最近の猫たちは昔の猫に比べて弱いように感じる。
純血種が外国からたくさん入って来たからだろうか、生活環境の故か。それとも飼う側がペットに対してより注意を払って病気に気づくようになったからだろうか。
実際同じ環境で育てても個体差は顕著にある。
ラムは家族の中で一番に弱かったのだと思う。

始めの頃原因がわからなかった。獣医さんに2度目に連れて行ってやっと、恐らく黄色脂肪症だろうということになった。ビタミンE剤と抗炎症剤投与。
玄関に豆炭を焚いて暖かくした。他の猫たちは入れずにラムの専用室にした。なんとなれば、猫の世界では弱い者が隅に追いやられてしまうから。
当時私はとても仕事が忙しい時だった。雪に土木作業が追われていた。昼間は当時我が家に居候していた友人に見てもらっていたが、夕方に帰る頃になるとラムの容態がとても気になった。
ラムは歩ける限り、いつも私の傍に来たがった。私の膝の上、坐る横、私が帰って来るとラムもヨタヨタと歩いて私の体にぴったりと体を寄せる。そんな彼女を万が一にでも死なせたくないと思った。

そのうちラムはトイレにも立って歩けなくなってしまった。そこで炬燵で私の坐る場所の隣にシーツを敷いてストーブを焚きっ放しにし、ラムを寝かせた。

何度も動物病院に連れて行ったし、できるだけのことはしたと思う。しかし日に日に弱るラムを目の当たりにして、私はただ彼女の体を撫でながら「治るから・・」「よくなるから・・」と声をかけるしかなかった。触られることを嫌がるというその病気ではあったが、ラムは私に触られるのを喜んだ。

そしてある晩、私は疲れて炬燵に横になって眠り込んでいた。1時間も寝たろうか。その頃は夜通しラムと一緒に炬燵で過ごしていた。しかし仕事もやすめない。
目が醒めていつものようにラムを見た。
ラムは私のわき腹にすがりつくような体勢で、私に背中を触れられながらじっとこちらを見ていた。私の顔をじっと。
それが彼女の死に顔だった。


ラム


ラム。
お前を死なせてしまった・・・

8ヶ月の短い命。家族皆から愛され、伸び伸びと育ち、あと少しで成年に達するところ。
ここで生まれ、ここで死んでいく生の喜びと哀しみ。
決して豊かとは言えない環境の中で、躾けのために怒ったこともあった。けれどそれなりにも死の間際まで精一杯愛されたことを、彼女は喜んでくれているだろうか。

愛される者の死は周囲にとても大きな価値を残してくれる。
家族の中で一番弱い体質を持っていた彼女は、身をもって私に猫の食生活を改めさせるきっかけを作ってくれた。
今では餌の配分を変えているし、いろいろな種類のものを少しずつ食べさせるようにしている。スーパーにお願いして白身魚だけ頂いて来ている。我が家では二度と黄色脂肪症にかかる猫は出ないだろう。

翌日裏庭に薪を積んで火をつけた。
ラムの体は凍るような風に飛ばされ、煙とともに、どこに上って行ったのだろうか。