見えない好意
 松明、提灯を先頭に静かに列は進む。降り積もった雪と抜けるような青空がいかにも冬の日らしい。仏・法・僧・清と続く色あせたのぼりが木枯らしにはためく。この日私は葬列にいて、竜の頭を結びつけた竹ざおを持っていた。

 山向こうのおじいさんから電話があったのは、我が家の稲こき(脱穀)がようやくに済んだ秋の頃、まったく突然のことだった。
 「悪いけど、いづでもいいから砂利を運んできてくれねが。」庭に敷いて、ばあさんの草取りを楽にしたいそうである。私がしばしば近くの採石場に砂利を買いに行き、軽トラに積んで来ては自分ちの庭に敷いていたのを見知ってのことである。
 この方は、私がこの集落に引っ越してきてまもなく、不意に自転車を押して訪ねてきてくれた。ちょっとだけむらの新入りの様子を見に来たのだそうだ。以来折に触れて親しくさせて頂いていたのだけれど、ある時私の不注意から不愉快な思いをさせてしまって怒られたことがあった。それからなんとなくお互いに訪ねづらくなってしまい、長いことご無沙汰していたのである。
 そんなことがあるものだから、このおじいさんの突然の頼みは私にとって嬉しいものであった。けれどそう思ってはみたけれど、あいにくとその頃仕事や農作業がぎゅうぎゅうに詰まっていて、私自身非常に焦っていた時期でもあった。
 「どうしようか。今の仕事は冬まで終わりそうもないし、かといって雪が積もれば砂利は敷けない。春になればなったでまた農作業が忙しくなる...」
 その時私はりんご園の抜根・整地作業を請け負っていたのだが、あいにくの夏場の長雨と日照不足で思うとおり仕事がはかどらず、当初の予定を大幅に遅れた上に、いつ雪が降ってしまうかと戦々恐々としていたのである。加えて自分の畑にはそば、大豆、粟、キビと収穫を控えた作物が列を並べており、まったく猫の手も借りたいほどの忙しさであった。(ちなみに、我が家には当時8匹の猫がいたが、誰も役に立ってはくれなかった。)
 しかしそんなことを考えている間、以前私達を初対面で暖かく迎えてくれたおじいさんの姿がしきりに脳裏をよぎる。
 田舎のむらでは、住民達は移住者に対して好奇心を抱く反面、非常に警戒的だったりする。それは殊更田舎が閉鎖的だからということばかりではなく、自分達のことしか考えない移住者や地域の人々を騙すようにして金儲けをしている外来者を間近に見たり聞いたりしているからでもある。
 幸いにも私達は移住してこの方、隣近所に恵まれ、付き合いにも仕事の口にもそんなに困ることなく今日に至っている。これはもちろんここで出会い、私達の存在を日頃から陰で支えてくれている集落のみんなのおかげだろう。なんとなれば、狭い社会に余所者が飛び込んで来たときは特に、移住者本人の目に見えないところでその人に対する評価が噂として飛び交い、当人を取り巻く人間関係や雰囲気が知らずのうちに形成されてしまう部分が大きかったりするからである。
 移住当初ここで出会い好意を持って接してくれたひとりひとりの人が、まさに目に見えないところで、私達を支えてくれていたのである。決して、誰が野菜をくれた、誰が相談に乗ってくれたというようなことではない。
 そこまで思い至ったとき、この好意には例え多少の無理をしてでも応えたいと思った。既に頂いているものである。それを返すのに何の躊躇があろうか。

 仕事の合間を縫って軽トラ5台分の砂利を運び終えてまもなく、今度は「りんご買いてから、ちょっとりんご園さ乗せてってけろや」と頼まれた。遠くへ嫁いだ娘さんにりんごを贈りたいという。
 後にも先にも、一緒にりんご園に行ったときの彼の嬉しそうな顔は今まで見たことがないくらいだった。どちらかというと少し怒りっぽくてつき合いづらいような印象のある人だったが、その時はとても明るくて楽しそうだった。そして山ほどりんごを買って帰ったのである。

 そのおじいさんが脳梗塞で倒れたと聞いたのは、そのわずか4日後だった。

 肩をずぼめて歩く私達の横顔に木枯らしが吹きつけ、赤、黒、黄色ののぼりがはためく。青空がよけい寒さを際立たせるように感じた。田んぼに挟まれた雪の小道を辿る途中から鐘の音が鳴り響き、長い葬列は静かにお寺の門に向かう。

 最期まであの方と関われて、本当に良かった。