元気の秘密
 「おう! まごー。酒売ってくれや。」
 隣のジッちゃんが来て呼んでいる。私は本名”信(まこと)”、41歳。隣りのジッちゃんは”まごー”と呼ぶ。”酒”というのは焼酎のことであるが、私は別に酒屋を開いている訳ではない。ジッちゃんはバイクしか乗らないので、雪道となると酒屋に行くのが億劫なのである。
 ジッちゃんにはこのたび炭焼き窯を作るのに大変お世話になった。山間のこの集落に引っ越してちょうど2年と4ヶ月。冬場の仕事のない時期を利用して炭を焼いてみたいと思っていた。家は築50年だが当時既に古材を使って建てている古い百姓家である。もと土間だったところを含めてうちには囲炉裏が3つも切ってある。それに木炭は買うと意外に高い。
 この集落は今でこそ貧しい農山村を絵に描いたようだが、かつてこの界隈で一番の炭の産地だったそうだ。かといって始めから本格的に焼こうとは私も考えてはいなかった。炭窯替わりに使うドラム缶は隣りから頂き、本を1冊買って見よう見まねで炭窯らしいものをこしらえてみた。
 まずは竹炭、その次はりんごの木と、回を重ねるごとに少しずつ要領もつかめていく気がする。そして3回目、今度こそはと、待望の出炭の朝を迎えた。ところが、火の止め具合が悪かったのだろう、ほとんど灰になり、今までで一番みじめなできとなってしまった。
 私が家の中でひとり悲しみに沈んでいたとき、隣りのジッちゃんは来て言った。新しく窯を作り直そうと。今までも痛む足を引きずってちょくちょくと窯に来ては、昔の体験談や炭焼きの要領を私に教えてくれていたのだ。何しろ人生の働き盛りの30年間に、ひたすら炭を焼いてきた人である。話には含蓄があって、とてもためになる。
 そしてスタスタと畑に行き、自ら進んでスコップを振るい始める。日頃立つにも座るにもしんどそうなジッちゃんがである。寒風吹きすさぶ真冬の空の下、ジッちゃんの手は手袋もつけないままに、雪を掻き分けて凍った地面を掘る。
 何もしないで見ていられる状況ではない。あ、いいですよ。ボクがやりますよと言いつつ、私も手袋を取りに帰る余裕もなく、ただ言いようもない気迫に呑まれて、ああだこうだと言われるままに穴を掘った。
 「おめさんの窯はおもちゃのようだったもんな。あれじゃあ失敗すんのはあだりめえだ。ほんとはこんなふうにすんだ。」
 場所の選び方、土の見方、盛り方がことごとく違う。にわか土方になった2人が汗を流すこと2時間あまり、アッという間に(あっけなくも)窯は大方できてしまった。
 後はこうしてこうして、こうやっとけ。1度や2度失敗したからってなんだ。じゃあな。
 びっこを引きながら歩き去るジッちゃんの後姿を見送りながら、なんとも申し訳なくもありがたい気持ちがじわっと浮かんだ。多分ジッちゃんは、これから何日間も体が痛むに違いない。ここに住んでいて一等お世話になっていて、何かの時には馳せ参じて楽をさせてやろうと心中思っていた相手に、思いもかけず働かせてしまった。
 人間は年とればあちこち身体の調子が悪くなるのは当たり前。かつて鬼神のように働いた人たちも、今は炬燵に丸まり焼酎を呑み、時々雪掻きをしたりしながら冬を過ごす。でもその年寄りたちが、にわかに信じられないほど元気になるときがある。その人なりにある状況に直面した時に、我われには及びもつかないほどのパワーと気迫を発散させるのである。その元気の秘密はいったい何なのだろう。
 私の今の状況は、隣りのジッちゃんをにわか元気にするのにそんなに適していたのだろうか。
 「この焼酎は炭焼き指導料として差し上げます。」そうは言ったものの、そんなんじゃおらア持ってかねえと断られて、またもやジッちゃんに対するもろもろのお礼は先延ばしとなってしまった。
 ここに来て、本当に良かったとあらためて思うこの頃である。
スミヤキスタ1号機。今は改良型2号機を使っている。

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